12月3日 | HAJIMEのひとりごと

HAJIMEのひとりごと

           

週明けの今日はやや早めに出勤。しかし朝から腰痛ショック!気味で不調。軽くヨーグルトを食べ、消炎鎮痛剤(ロキ○ニン)を飲んでから出勤。


オフィスでコーヒーを飲もうとしたら、私のマグカップが・・・・無い叫び!

みんなで家宅捜索すること10分、掃除用具の置き場で私のマグカップが無事発見された。月曜日に掃除のおばさんが来るが、片付けて途中で置き忘れたのだろう。
まさか「いじめ」ということはないだろうが、不可思議な出来事だった。オフィスにいた5~6人が10分程度捜索に参加してくれたので、皆で60分の損失、ああもったいない。


ミーティングのあと、昼食。午後から旅行エージェントの方が来社、来年6月のヨーロッパ視察ツアーに関する打合せ。6月11日(水)から5泊7日で、在宅医療に関するロンドンツアーを組む予定である。パリでの自由行動も組み入れる予定だ。


夕方から外出、企業研修に関する打合せ。その後再び帰社し、会長と打ち合わせなど。
東京21時発のホームライナーで帰宅。このところ東京21:00及び22:28発のホームライナーには、旧型の183&189系電車が使われている。
赤とクリーム色に塗られた国鉄時代の特急電車といえば思い出す方も多いだろう。183系と189系は見た目はまったく同じである。現在では混用されているが、かつては189系は信越線の在来線特急「あさま」用車両だった。
183との違いは「横軽仕様」か否かである。「横軽」とは信越線の横川と軽井沢のことで、この間にあるのが碓氷峠である。
当時の在来線で最も急な勾配区間であり、「峠のシェルパ」と呼ばれたEF63型電気機関車が2台、電車の麓側(横川側)に連結され、電車を押し上げた。このとき、このEF63と協調運転できる機能を持っていたのが189系である。電車の運転席の操作で、電車の動力も使い、電気機関車も制御したのである。


183系はこの協調運転機能を持っていない。長野新幹線開通後は、中央線の「あずさ」などに一部は転用されたが、首都圏に残った車両は暴走、いや房総特急及び「ホームライナー」予備車や、団体臨時列車用として余生を送っているのである。
しばし懐かしい気分になった。


話は変わるが、お恥ずかしいことに現在新聞の定期購読をしていない。引っ越しで新聞を止めて以来、取らずにいるのである。「新聞のちらしを見ないと、スーパーの特売品がわからないのでは?」(何のために新聞を取っているのか??)という向きもあるだろう。しかし、今はイトーヨーカドーでもwebチラシがあって、サイトでPDFのチラシを見ることができる。
新聞は、駅のスタンドで朝の通勤時に日替わりで各紙を買っている。今日は産経と毎日を買ったが、両紙ともなかなか面白かった。毎日で出色だったのは、2面のコラム「メタボ再考」である。サブタイトルに「世界の孤児」とある。日本の場合、診断基準が世界水準と乖離しており、誤ったメッセージが混乱を引き起こしていると警鐘を鳴らしている。締めくくりの文章には「メタボ基準で大規模な公的健診を進めようとしているのは、世界で日本だけだ」とある。
特定健診、保健指導に(医療経営に対する)大きな効果を期待するのは、無理という気がする。


深夜、次男が私の部屋にやってきた。大学に提出するレポートの話。専攻する国際政経に関する内容で、中東オイルについて。カスピ海、黒海周辺のオイル情勢に関して、カスピ海沿岸のバクーからトルコ沿岸までのBTCパイプラインが敷設された政治的背景などについて説明してあげた。

なかなか面白そうな勉強をしている。一度行ってみたい地域でもある。