まずロスへ飛んだデルタのMD11の印象から。新しい機体だなと感じたが、当時のシートコンフィグ(配列)はB747と10列。MD11の方が機体幅が狭いのに同じ10列というのは、窮屈だなと思ったものである。のちに乗ったJALのMD11は9列だったように思う。デルタは割りと機内食も美味しかった。当時からエコノミーでも和食が選べたのは画期的だったかも知れない。
到着したロスでは恐らくユナイテッドのターミナルになんとかして移動したのだろう。ロスからポートランド行きのB737-300はがらがらで、片側3人がけを1人で占領できた。右の窓側に座り、初めて見るアメリカの大地を眺めていた。山脈を見て「これが地理で習ったシェラネバダ山脈か」と思ったりした。
ポートランド
は落ち着いた街で、nikeの本社もここにあった。
1泊後、市内のバラ園などを観光後、ポートランド空港からアトランタに向かった。この便がトライスター機で、私達の出発した翌日成田を発って飛んできた機体。
当時は成田-ポートランド-アトランタという路線をデルタが飛ばしていたのである。このとき乗ったトライスターは、長距離タイプの500型(正式にはL1011-500)だったと思う。アトランタまでは4時間ほどかかった。
到着したアトランタ・ハーツフィールド空港の規模の大きさには驚いた。ゲートから手荷物受け取り場まで無人運転の地下鉄が走っていた。
アトランタ
は活気あふれる南部の都市。ここではエモリー大学とか、いくつかの病院の視察、医薬品卸業の物流センターなども見学した。
アトランタでは視察もそこそこに観光を楽しんだ。当時の視察旅行というのは、のんびりしたものだったのである。ストーンマウンテン、CNNやコカコーラの本社、南北戦争の遺跡、「風と共に去りぬ」の舞台(マーガレットミッチェルハウス)など、アトランタは見所いっぱいだった。アトランタ市内では、ジャズのライブハウスにも行った。そこで飲んだバーボンのクラッシュアイス割りはその雰囲気によく合うドリンクで、印象に残った。
レノックス
という巨大なショッピングセンターも行った。大きなドラッグストアがあり、当時の日本の「薬局」と比べると、彼我の差の大きさを感じたことだった。
当時アトランタはオリンピック前で、様々な工事が行われ、活気があった。南部料理のレストラン「アンソニーズ」は、1797年に建てられた雰囲気のある建物で、プランテーションハウスとして建てられたというが、非常に趣きがあった。
アトランタに行ったのはこのときの一度だけで、大変印象深く、多くの記憶が残っている。