柏原一里塚から西にいき北畠具行行卿の墓の入口にいきました。
北畠具行行卿は、後醍醐天皇を擁立した倒幕計画である元弘の変(1331年)の中心人物で,捕えられ鎌倉に送られます。その途中この地にとどまり、護送する京極高氏(道誉)によって再三幕府に助命嘆願がかなわずこの地で処刑されて、墓がこの山中にあります。
北畠具行卿の墓れ0,4㎞の道しるべを見て、民家の横の狭い道を上がっていきます。道は整備され歩きやすく左にはシカ侵入防止金網が、ゆうに2mの高さに張られる中を上がっていきます。峠を越えると右への道になり、割と急な道を上がっていくと右手に小高いところに宝篋印塔(総高2,04m)砂岩製の墓があります。ここからまた山道を下って中山道に出て、柏原一里塚跡、さらにお茶屋御殿跡を見て旧柏原役場跡に戻りました。
ここから車で西にいきお茶屋御殿跡前を右折して清龍寺徳源院にいきました。ここは北畠具行卿の墓の反対側になります。参道を上がって行きますが、ここもヒガンバナがいたるところで咲き誇っていました。やがて右側に清龍神社と左奥に青龍寺徳源院があり、まず清龍神社にいきました。
ここが北畠具行卿の墓への道
杉林の中の道
左側にシカ侵入防止金網が張られている
この扉を開けて上がっていく
尾根沿いにあがっていく
ここが北畠具行卿の墓。案外と広いところになる
国史跡。北畠具行の墓
北畠具行の墓について
史跡。北畠具行卿の墓碑
北畠具行卿の墓を後にして
墓を下る道
途中に峠があり、ここに峠地蔵跡碑
少し上がるとある元地蔵堂。中は何もない
峠を下ってきた道
北畠具行卿の墓入口にある民家の横を出て中山道へ
前方が醒井宿への道。この辺りがうぐいすガ原といわれ広い原っぱになっていた
柏原宿の元旅籠跡
清龍寺徳源院へ1,2㎞の道しるべ
途中で見た伊吹山。伊吹山もふもと集落は最近土砂崩れがあり話題になっている。
清龍寺徳源院の駐車場の地蔵堂
参道を上がっていく
右側の清龍神社
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