元円興寺跡へは入口に有害動物の侵入防止柵が、設けられているので通行用の扉を開けて入っていきました。

 道を入っていくと、杉の大木が目立つ中を谷川に沿って上がっていきます。少し歩くと湿地帯になって木道設けられいますが、かなり長く続いています。やがて左側に炭焼窒があり、昭和20年代まで円興寺の住職がすみを焼き寺で使っていた。

 道はここで左右に別れています。左にいき山道を上がっていくと、正面に元円興寺跡になります。ここが金堂跡で、周囲には三重塔跡、鐘櫓跡、講堂跡などがありますした。これらの主要な遺構を中心にした。最大東西400m、南北500mに及ぶ山岳寺院であった。

 ここを後にして朝長の墓にいきました。平治の乱で、平清盛に敗れた源義朝一行(8人)は、平治元年(1159)12月27日京都から逃れ、美濃国における源氏の拠点の青墓にたどり着いた。ただ義朝の二男朝長は落ち延びる途中で、敵に襲われ深手を負い,進退極まり自害しここに墓がある。この他に謀り殺された義朝,義平ほか主従の墓がある。後に将軍になった源頼朝は、上洛の時に二度も青墓に滞在し一族の墓に詣っているといわれている。

 

          分岐点から左に上がっていく道

 

           上がり切ると正面が元円興寺の金堂跡

 

            元円興寺 金堂跡の概要説明

 

      史跡 元円興寺跡。周囲を石積や土塁、階段状の遺構は見られた

 

         分岐点に戻り右の表参道 朝長の墓にいく

 

                朝長の墓への道

 

              史跡 源朝長墓碑

 

              朝長の墓入口にある刀石

 

 

            朝長の墓へは道しるべ

 

             上がっていく道

 

              源朝長の墓概要説明

 

          左から朝長公、義平公、義朝公

 

      朝長の墓。両側に平野平八郎、平野藤十郎、僕八助などの墓になる

 

           少し離れたところには大炊家の墓がある

 

 

            元円興寺 仁王門跡への道

 

          表参道入口へ850mの道しるべ

 

             元円興寺、仁王門跡推定地

 

           円興寺と俳人松尾芭蕉について

 

        芭蕉の句碑。左後方に五輪塔ほかがある

 

             展望台への道しるべ

 

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