池田山の北側山すそにある瑞巌寺にいきました。ここは正平8年北朝の後光厳天皇が、南朝方が京都にせまってきたため、美濃国守護土岐頼康を頼ってここに逃れてきたところです。前回ご紹介した「小島のすさみ」には(内裏のありさまは、このあたりには、まれないたぶきなれど山はさながら軒ばたに雲霧のはれない)と記されています。頓宮は」板ぶきにて丸柱の簡素な建物でした。頓宮跡のついては(古来現今の瑞岩寺仏殿南にあたるところ頓宮跡としたと由緒書としているとされている(揖斐郡志)。確認したところ本堂南の庭の一角に碑が建てられていた。

この瑞巌寺から県道259号線を池田町方面にいき粕川大橋手前にある蘇生の泉にいきました。ここは二条良基がのがれて小島頓宮にきた際に、ここの泉の水を飲んで生き返ったといわれています。飲んでみると今でも冷たく美味しく感じます。

 

 

 

          明治40年に建てられた小島頓宮碑

 

              瑞巌寺に墓地への道

 

           町史跡碑岡部長盛の墓

 

    岡部長盛は大垣藩の城主で瑞巌寺の再建の時に尽力した

 

       瑞巌寺の境内は花が多く感じた

 

             カキツバタ

 

                 シラン

 

           瑞巌寺に隣接する小嶋神社

 

                拝殿では?

 

          瑞巌寺の参道から見た水田地帯

 

      瑞岩寺の集会所から見た東の町並みと金華山が見える

 

          東の町並みと粕川に架かる粕川大橋

 

          二条関白蘇生泉の概要説明

 

                蘇生の泉

 

 

          ご訪問頂きありがとうございました。