5月24日(月)、仕事は午前休をもらい朝イチで病院へ。
到着すると奥さまはモニターで張りのチェック中。
昨日ほどではないが、引き続き張りは続いている状態。
奥様曰く、周囲のスタッフの言動からすると手術になる可能性が高そうだとのこと。緊張が走る。

到着して2時間ほど経った頃、血液検査の結果を伝えに主治医の先生がいらっしゃった。
炎症の値はほとんど変化なしで高いまま、ただ炎症値は下がるのに24時間ほどかかる場合があるのでまだ断定はできない。
加えて張りも一時期ほど酷くはない。



再度長考の末、その日の手術も見送られることに。
成長を促す注射の効果が十分現れるのには48時間かかることもあり、翌日の検査結果をみるまで延期することに。
ただもし張りがまた酷くなればいつでも出しちゃうからね、というスタンス。


正直、ホッとしたような残念なような。
お腹の中にいられるという点ではホッとしたものの、お腹の中にいることで生じるリスクや奥さまの長い入院生活を終わらせてあげたいということを考えたら少し残念なような気もした。
一応手術は明日の検査次第だが、これまでの流れから言えば何事もなく落ち着いて、「あれはなんだったんだ」ってことになりそうだね、と二人で呑気なことをいいつつ翌日を迎える。


5月25日(火)、血液検査の結果は良好。炎症の値は心配しなくて良いほどに下がっていた。
張りも急を要するほどではなく、早々に手術は見送られた。
先生も「ご主人とレストラン行ってきなよ~」というおっしゃるくらい、雰囲気的には4日前の楽観ムードが返ってくることに。



翌5月26日(水)、その日は通常通りお仕事へ。
昼過ぎ、普通にお仕事をしているところに奥さまからメール。


「やっぱ今日かも」


ん、そうなの?


「本格的なの?」
「マジっぽいです」


「先生からご主人呼び出しがかかりました」


おぉ、マジじゃないっすか。というわけで一路病院へ。


最寄り駅からいつも通り歩いて病院へ向かっていると
「タクシーで早く!」とメール。
え、そんな感じ!?


病室へ着くと早速先生から状況説明がはじまり、手術の同意書へサインすることに。
奥さまは手術着に着替えてスタンバイOK。
本当に出ちゃうんだね。


両親へ連絡する間も与えられず、すぐに手術室へ。
ご主人はこちらでお待ちください、といわれ扉前のベンチで待機。
聞くところによると、赤ちゃんが出てくるまではおよそ1時間、その後ママが出てくるのはさらに1~2時間後とのこと。
とりあえず双方の両親へ連絡し、ひたすら待つことに。


20分経過


40分経過


いろんな人から頂いたお守りたちを握りしめてじっと待つ。
ここらへんまであっという間。


45分

48分

50分

51分

・・・・・・・・・・・

赤ちゃんが出てくるといわれていた1時間を前にして時間の流れが緩む。
だって少しでも予定より時間かかってたら何かあったんじゃないかと思うじゃない。
頭はいたって冷静。だけど胃がキューッとし続ける。
奥さまが入っていった扉からはいろんな人が入れ替わり立ち代り出入りしてたため、扉が開く度に生きた心地がしなかった。



そしておよそ1時間10分ほど経った時、保育器に入れられた小さな小さな赤ちゃんがやってきた。



思ってたより「赤ちゃん」だった。
1000g程度の赤ちゃんなんて見たことなかったから想像もできなかったけど、漠然としたイメージよりちゃんと赤ちゃんの姿をしていた。
口からは管をされていたけど、ちゃんと動いていた。
「さっきはちゃんと泣いていましたよ」と先生。
口に管が入ると泣くことができないらしい。


その後すぐに検査のためNICUへ連れていかれた。
初対面はものの30秒程度だっただろうか。
何か実感がわかないというか、頭がフワっとしていて気がつけば目の前からいなくなっていた。
カメラはちゃんと持っていたのに、なんかそんな空気ではなかった(個人的に)。



さらに1時間半後、奥さま元気に帰還。とにかくホッとした。
これで入院生活から開放されるのがなにより嬉しかった。



こうして長い長い妊娠生活が終わりを迎えた。
28週と2日。
聞くところによると、胎盤はボロボロになっていたらしい。
やはり限界だったんだね。
振り返れば3月からよくここまで持ったなって思う。
奥さまと赤ちゃんの頑張りにはホント感謝。
「たられば」は意味のないことだけれど、大学病院へ転院してなければ1ヶ月もつどころか、その前に終りを迎えてしまっていたのではないかと思う。
かたくなに退院を許可しなかったY病院だったことも幸いした。


けどやっぱり運が良かったなぁとも思う。
全ての事象が奇跡的にうまくいったからここまでこれたのは間違いない。
妊娠・出産って現代の最新医療をもってしてもどうにもならないことがまだまだ多いようだし、そういったものを超越した、何か神秘的なことなんだなって実感した7ヶ月間でした。

幸いにも検査結果は良好な状態が続いており、28週は現実のものになりつつあった。
そんな28週を目前にしたある日の先生からの説明。

28週を迎えれば生存確率はほぼ100%助かる上、後遺症の心配もない。
そこで28週以降は少しでも赤ちゃんが苦しんだらすぐにでも出しますよ、とのこと。
28週直前に検査を行い、お腹の中の状態が芳しくなければ28週0日で出しちゃいましょうということに。


そして迎えた当日、超音波の結果、血液検査の結果はこれまでで一番良好なものだった。
羊水量は若干少ないながらも十分標準値内。
炎症の値も低く、血栓の値も低いため、剥離の兆候はみられない。
1ヶ月前の転院直後の状態から考えれば、「ここまでよくなるとは」と先生。
引き続き破水と感染には注意しなければならないが、この分なら32週、なんなら34週を目指しましょう、
さすがに退院は許可できないけど気晴らしのために病院内のレストランでもご主人と行ったら?くらいの良い状態。


これでまた入院生活が延びちゃったね~、だけど赤ちゃんのためだからね~、
な~んて言っていたのが27週4日の金曜日のこと。


翌土曜日(27週5日)夜に容態が急変。
日曜日朝にかけてこれまでにないほど短い間隔での張り。

日曜起きて、「今日は夕方に行くね~」なんて呑気に送ったメールへの返信が


「今日、帝王切開になるかも。」


だって。

まさかまさかの急展開。
本人はもちろん、先生も看護師さんたちも誰もが「なぜ???」
とにかく急いで病院へ向かうことに。


病院につくと奥さまは手術へ向けた準備を進めていた。
帝王切開を控え、食事や水分摂取はNGなため、水分は点滴からの摂取。
帝王切開前には赤ちゃんの成長を急速に促すための注射をしたらしい。
NICUへも連絡が取られ、受け入れ態勢も整えられる。
準備は着々と進められるが主治医の先生がいらっしゃらないため、到着を待って決定が下されることに。


夕方頃、主治医の先生到着。
赤ちゃんのことを考えるともう少し粘りたいが、もし出血の原因が感染であれば逆に赤ちゃんへの影響は避けられない。
「どうしたものか・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・明日朝イチの検査結果をみて判断しよう」
長考の末、その日の帝王切開は回避された。


次回、とうとう出産へ。つづく。

転院してからは24時間点滴生活。
2~3日に1度の血液検査と週に2回ほどの超音波検査でお腹の状態を逐一観察。
検査結果に応じて点滴を変えて、また経過を観察。その繰り返し。
張りを感じたらすぐにモニターチェック。

わずかな変化も見逃さず、手厚い適切な処置。


転院から1週間。
羊水量がわずかに増えた。
先生曰く、「この1週間もつかどうかヤマだった」とのこと。
なんとか24週到達。これで赤ちゃんはやっと五分五分。


ここで先生から重い命題。
「これから26週までの間に赤ちゃんが苦しんでしまった場合、お腹から取り出すのかどうか決めてください。」

羊水過少や諸々の要因で赤ちゃんがお腹の中で苦しんでしまった場合、
お腹から出せば命は助かるかもしれないが後遺症が残ってしまうかもしれない。
26週までの週数ではその確率は低くはない。
一方、後遺症が残るリスクを考え、命の危険を承知の上でそのままお腹の中で頑張ってもらうという選択肢もある。
命と後遺症を天秤にかけた究極の選択。

もちろんすぐに答えなど出せない。
そんなものは夫婦で話しあったところで答えが出るものでもない。
このときばかりは決断をうやむやにした。


その間も検査結果は良くなったり、悪くなったり。
炎症の値も上がったり、下がったり。
羊水量も増えたり、減ったり。
その繰り返し。

綺麗な上昇カーブではないものの、全体的にはわずかながら右肩上がりといえる状態。
そんな状態自体かなり幸運といって良いだろう。
おそらく状態からいって、平行線を維持することすら難しかったはず。
適切な処置の賜物。
そして赤ちゃんと奥さまの頑張りの賜物。


そして26週到達。やっと26週。
結果的には「究極の選択」に答えを出せぬままうやむやのうちに26週を迎えられた。
もし「いざ」が起きてしまっていたらどういう決断を下せたのだろう。


これで赤ちゃんの生存確率は8割程度。グンと希望の光が近づいてきた。
ただ、まだ確実とはいえない。
引き続き28週を目指す。


その8へつづく。
とうとう大学病院へ転院することになった。
転院当日、仕事を休み、転院の付き添い。

午前10時半頃、救急車に乗せられ救急搬送。
サイレンを鳴らし、前の車をどんどん追い抜きながらでも30分の道のり。


病院到着後、同乗してくれたY病院の先生がカルテなどを引継ぎ。
奥さまは早速各種検査を行うことに。
その日は主治医の先生がいらっしゃらず、翌日再度診察の上、病状について説明をうけることに。

翌日、奥さまとふたりで先生から説明をうける。


慢性常位胎盤早期剥離羊水過少症


これが診断結果だった。

 ・胎盤が剥がれかかっている状態(幸い剥離の程度は軽い)
 ・剥離しているところから羊水が漏れている(破水疑惑の原因)
 ・羊水量が少ないため赤ちゃんにとって危険な状態
 ・炎症値が高いため、それに伴う破水を防がなければならない
 ・いつ陣痛が起きてもおかしくないので張りを抑え、早産を防がなければならない
 ・血栓ができやすい体質であり、それに伴う剥離進行や発育障害を防がなければならない
 ・ただし絨毛膜下血腫(!?)もあるので血栓の扱いは慎重に

専門的なところは記憶違い、認識違いがあるかもしれないが
おおよそこのような内容だった。
「母子ともにとっても危険」ということ。
この1週間がヤマとのことだった。

不幸中の幸いだったのは、剥離の程度が軽かったこと。
胎盤早期剥離はどんな妊婦さんにも起こりうることで
未然に防ぐことや兆候の判断などもとても難しいらしい。
胎盤早期剥離となると3~5割の赤ちゃんが死に至るといわれ
剥離の程度によっては母体にまで危険が及んでしまうという怖いもの。

切迫流産や切迫早産というのはそこまで珍しいことではなく
出血の程度によっては自宅療養を指示する病院も多いらしい。
Y病院は念には念を、という方針で出血が少しでもあれば退院を許可しなかったが
そう考えると、出血が止まらずY病院から退院できなかったのがむしろ良かったとさえ思えてくる。
もしたまたま出血がおさまっていた状態で退院し、もし日常生活で一気に剥離してしまってたら・・・・・
・・・・・考えるだけでゾッとする。


というわけでお腹の中の状態は赤ちゃんの育つ環境としてはあまり良くない。
ただそれでも赤ちゃんにはお腹の中にいてもらわなくちゃならない。

先生の説明によると、22~24週未満で産まれた場合、生存確率は2割、
その生存できた2割の内、8割の赤ちゃんに何らかの後遺症が残ってしまうとのこと。
(後遺症は重いものから軽いものまで様々で、その時点ではわからないらしい)
24週の時点で生存確率5割、その内の5割の赤ちゃんに後遺症。
26週の時点で生存確率8割、その内の2割の赤ちゃんに後遺症。
28週までくればほぼ100%助かり、後遺症も残ることはないという。

つまり1日でも長くママのお腹の中にいられることが重要。
だから早産は防がなければならない。
その上でお腹の中で赤ちゃんが苦しまないようにもしなくちゃいけない。

そのために24時間点滴しっぱなしで状態をコントロールすることになった。
都度状態を確認しつつ、少しでも長く赤ちゃんがお腹にいられるようにする。
ママにできることはとにかく安静にし、先生と赤ちゃんの生命力を信じて祈るのみ。
パパはとにかく祈るのみ。


こうして一歩ずつ、1日1日を重ねていく試練がはじまった。


たぶん、つづく。
引き続きY病院へお世話になると決めてから、新たなことがエコーでわかった。
どうやら胎盤の位置が少し低いらしい。

胎盤について。
胎盤はへその緒で赤ちゃんとつながっていて、そこから血液を送り届けているところ。
つまり血液が豊富な箇所で文字通り赤ちゃんにとっての生命線。

通常、胎盤は子宮口から離れた部分にくっついていることがほとんどだが
稀に胎盤が子宮口を塞いでしまうことがある。
その状態を前置胎盤というらしい。

前置胎盤にも程度があり、子宮口を完全に塞いじゃう深刻なものから
少し子宮口に掛かる程度の状態、子宮口にかかってもいないが距離が近いため注意が必要という軽い程度のものまで様々。
奥さまの場合は「若干低め」ということで前置胎盤ではないらしいが
前置胎盤について調べていると、
「前置胎盤は血液が豊富な胎盤が子宮口に近いため、妊娠中期に出血をしてしまう人がいる」
ということがわかった。

出血の原因はこれじゃなかろうか、と素人考え。
そう考えるとこれまでのつじつまがあうような気がした(素人考え)。
いろいろ調べてみると、胎盤は子宮が大きくなるに連れて位置が上に上がってくることがあるらしい。
それに伴い出血がおさまり、普通分娩出来るまで回復することも珍しくないらしい。
ということはもう少し辛抱して、子宮が大きくなれば自然と出血がおさまり退院できるようになるのではないか(願望)。


奥さまにはもう少し辛抱してもらう必要がある。
ただもし推測(願望)通りであれば、そのうち退院して普通の生活に戻れるのではないか。
一気に希望が出てきた。




気がしただけだった。


22週を迎える頃、無常にもY病院から転院先を決めるよう言われる。
通常であれば市内のNICUがある病院を紹介するが、大学病院の件があるので希望するほうを決めてくださいとのこと。
奥さまとふたりで思い悩む。

ここまできたら大学病院ではないか、と思う一方、それでも奥さまは大学病院に行くことに抵抗があるようだった。
まだ22週。予定日までは4ヶ月もある。
まさか出産までこのまま入院ということはあり得るのだろうか。
逆にもしそうなら腹を括れる。
けどもし退院出来るなら、退院後のことを考えると、都内の病院というのは確かに遠い。


決めてくれといわれてから決断を下すまでに許された時間はホンの2,3時間。
そこで「ここは大学病院でしっかり治療してもらって、もし退院できるようになったらまたY病院に分娩をお願いしよう」と提案。
奥さまはしぶしぶ納得した。


こうして大学病院への転院が決まった。

その6へつづく。