再びセロ美さんとの待ち合わせ場所、片倉館へ向かいます。

 

 

途中にあった美しい廃墟。

 

 

片倉館の前にある、諏訪市美術館。

 

「諏訪市美術館は長野県最初の公立美術館としてオープンいたしました。

昭和18年に建てられた片倉製糸の「懐古館」を当時の趣のまま

美術館として利用しています。」(諏訪市HPより)

帝冠様式っぽいですね。

 

 

鉄平石が貼られています。

鉄平石はここ、諏訪で産出されるんですね!

板状節理をする石です。

色合いが素敵。

 

 

片倉館 設計:森山松之助

会館棟

大きな車寄せが豪華な感じです。

階段状の破風はドイツ風?

 

 

 

 

 「片倉館は、大正から昭和の初期に日本における輸出総額の約4割が

 絹製品であった当時、シルクエンペラーと称された片倉財閥により

 地域住民に厚生と社交の場を供するため

 1928年(昭和3年)に竣工され、

 それを運営する(財)片倉館が1929年(昭和4年)

 に設立されました。」(片倉館HPより)

 

片倉さんはシルクエンペラーやったんや。

 

 

ファサードの意匠も独特です。

いろいろ混ざってる感じもする。

 

 

フィニアルつきのドーマー窓。

 

 

スクラッチタイルの外壁。

幾何学文様の通気口。

 

 

バラスターの装飾。

窓まわりの意匠については後ほど。

 

 

中に入ります。

 

 

 

 

 

 

ドアのノブはクリスタル製。

 

 

縦長の三連の窓は高さを変えて階段状になっています。

 

 

二階、大広間。

 

 

ぼんぼりのようなシャンデリアは当時のものだそう。

 

 

窓は二重になっています。

 

 

おお!千人風呂の建物が見えます。

ヨーロッパみたい。

右下、渡り廊下も重文だそうで、

通ってみたいですね。

 

 

精工舎の掛け時計。

入ったところにも、もう一台掛かっていました。

精工舎は、あのセイコーの前身になるんですね。

 

Wikipedia 「精工舎 株式会社第二精工舎」より

「1937年(昭和12年)に精工舎のウオッチ部門が独立して創業[4]

 1939年(昭和14年)、亀戸に本社工場が竣工。

太平洋戦争中の1943年(昭和18年)、桐生富山仙台諏訪の各地に分散疎開

 亀戸工場は東京大空襲を含む日本本土空襲で壊滅。 終戦後の1949年(昭和24年)、

疎開先の3工場を撤収し、諏訪に集約。」

 

精工舎は諏訪と関わりが深い、というか地元企業だったんですね。

 

 

この一対の獅子像は、高村光太郎作

靖国神社奉納用の狛犬の原型だそうです!

靖国神社の石鳥居と狛犬は片倉財閥が奉納されたんですね。

ネット情報によると、その設計にあたったのは伊東忠太。

高村光太郎はどう関わった??

余談ですが、私はこの翌日、安曇野の碌山美術館に行ったのですが

この美術館は彫刻家、荻原守衛(碌山)の美術館で、

荻原は光太郎と親交が深かったそうです。

 

 

 

片倉館 浴場 千人風呂 

750円で入浴できます。

そう!重文のお風呂に入れるの!!

この日は入ってません。

でも、これは入ってみるべきでしょうね。

 

 

隅の尖塔が雰囲気ありますね。

 

 

 

 

 

 

 

さて、こちらの窓まわりの意匠です。

テラコッタ製かな。

まぐさの部分、縦にタイルが貼られていて

要石と言ったらいいのか、中央にエッグアンドダーツの文様が付けられています。

エッグアンドダーツは古代ギリシャ建築より使われてきた文様で、

卵と矢じりの意味ですが、男性と女性の生殖器を表しているとも言われ、

子孫繁栄、五穀豊穣、生産の祈りが込められた文様ということになるかと思います。

もしや、卵のところはお蚕さんの繭かな。

普通、コーニスなどに連続して帯状に使われます。

 

窓の左右の枠に使われている文様は、ビーズアンドリール、

もしくは家具のボビンターニングレッグのようです。

この文様はエッグアンドダーツほどポピュラーではないと

思います。

片倉館で、これだけ使用されているということは。

リールもボビンも糸を巻き付けるものです。

絹糸を巻き付けた糸巻き、を表しているのではないでしょうか。

街のひとも、会社も子々孫々、絹で栄えますように

という祈りが込められているのでは。