ちょっと用事があって、

大阪市は西区、地下鉄の西長堀駅方面へやってきました。

 

ここは堀江と呼ばれる場所

今はおしゃれな街です(知らんけどニヒヒ

 

 

かつてあった長堀川は、徳川家光の時世に開削された人工河川。

大阪の中心部を東西に結ぶ重要な運河でした。

往時は水利を生かした材木問屋や各藩の屋敷が建ち並び、賑わっていました。

 

 

しかし、昭和48年に埋め立てが完了し、その役目を終え、

現在は長堀通となっています。

 

現在の長堀川跡

 

大規模な暗渠と言えますね。

 

 

鰹座橋の交差点

 このあたりに、土佐高知藩の蔵屋敷があり、名産品の鰹節などが送られていました。

橋の北詰には、鰹節問屋が集まり鰹座と呼ばれていたそうです。

 

長堀川に架かっていた橋は、交差点の名前として残っています。

 

 

 

和光寺

山門は反対側でした滝汗

こちらから失礼いたします。

 

和光寺は善光寺に縁があるそうです。

 

Wikipediaより抜粋

善光寺本尊である一光三尊の善光寺式阿弥陀三尊欽明天皇13年(552年)、百済国より仏教伝来とともに伝わった、

日本最古の仏像とされている。仏教伝来以降、崇仏・廃仏の論争が続く中、廃仏派の物部氏により難波の堀江に棄てられた。

 

この地にある阿弥陀池は、後に信濃国善光寺本尊となる阿弥陀如来像が捨てられ、また引き上げられた場所として有名であり

 

そこに、元禄11年(1698年堀江新地の開発に合わせて智善上人が善光寺の本尊が出現した霊地として新たに寺院を建立、

開山である智善から院号をとって蓮池山智善院和光寺と称した。

 

 

 

 

立葵紋は、善光寺の寺紋であり、

葵祭で有名な加茂神社の社家の子孫、本多家の家紋。

本田氏と本多氏、同じ氏族なんですね。

 

 

 

紫陽花が咲いていました。

 

美しい銅製の取っ手

 

 

 

これは、何重?

九重層塔かな

 

 

これはどうでしょう。

埋もれていますね。

もう一基、横の灯籠も埋もれていました。

キリシタン灯籠でしょうか?

違うかな。

            

 

阿弥陀池

大阪市の南北幹線道路のひとつであるあみだ池筋の名称は当寺院に由来しています。

 

 

放光閣

 

 

玉垣が五輪塔です。

壮観!

 

 

スペアかな

 

 

橋の欄干

善光講なんていうのもありますね。

 

さてさて、堀江郭?

遊郭があったんだ!

堀江新地が開発されたときに、市内で制限されていた娯楽を許可。

相撲や能、文楽の興行、さらに売春業である待合茶屋の営業も許可したそうです。

 

このあたりには、いろは茶屋という47軒の茶屋(いろは47文字から)があり、

宇和島橋のほうには根子茶屋があったそうです。

三味線は猫の皮。芸者さんのことを猫というそうな。

遊女のことも、ねこ(寝子から)っていう、と聞いたことがあります。

遊女と言っても、高級な遊女から、むしろを抱いてまちかどに立つ夜鷹まで

様々ですが、いずれにしろ、いい人生を送れた遊女なんていないでしょう。

江戸時代、黄表紙などを描いていた山東京伝は、二度、遊女を身請けして

(一人目は病死)妻としたそうです。

こういう旦那だといいですね。照れ

 

 

不動明王

 

不動明王は昭和のもののようですが、

台座のほうは天保十二?年と彫られています。

 

その後ろには!

私にも陽石に見えますウインク