住之江区南加賀屋にあります、加賀屋緑地

 

加賀屋緑地は、江戸中期(1750年代)に大阪の両替商 加賀屋甚兵衛が開いた新田会所屋敷跡です。

(パンフレットより)

 

加賀屋の地名の由来となった、加賀屋甚兵衛さんが作った、事務所兼サロン兼居宅といったところでしょうか。

当時の文化交流の場でもあったようで、財を惜しまず、随所に粋を集めた意匠が見られます。

 

こちら、無料でございます!

 

 

江戸時代以来、新田のいたるところで水利や運搬のため井路川という水路が掘られ、

昭和30年頃までは豊かな農産物を積んだ小船が行き交っていた。

(住之江区ホームページより)

 

井路川の遺構です。

高砂橋の親柱

この道は水路だったんですね。

   

 

こちらは、よしぬまはし、ですね。

残念ながら、倒れていましたが、残っているのはありがたいです。

 

 

 

加賀屋新田会所屋敷跡

長屋門

 

内部

落ち着いた数寄屋風建物です。

 

奥にはお茶の炉が切られていました。

 

濡れ縁

庭と建物をつなぐスペース

日本らしい、くつろぎの空間だと思います。

軒の出も深く、軒裏を見るのも楽しい。

 

欄間には、千鳥の透かし彫り

上の丸太もいいですね。

 

網代編みの建具

 

井戸とへっついさんのある台所

 

 

 

 

 

 

 

こちら側は、清水寺などで有名な懸け造りになっています。

風流ですね。

 

 

 

 

当時、庭の池は、十三軒堀川という川に流れ出て、難波まで舟で行けたそうです。

 

四阿に登る石段

 

庭には、石灯籠がいくつかあり、

中にはこのような、あまり加工されていない感じのものもあり

おもしろいです。

  

 

 

左は四方に仏像が彫られています。

右は道祖神かな。

    

 

 

紅梅と白梅

見ごろはまだですね。

 

しだれ梅

万葉集のころは、花といえば、桜より梅だったという話を聞いたことがあります。

梅もいいですね~。

 

蔵には、農機具なんかも展示されていました。

 

これは田舟

これに乗るのかと思いきや

舟には稲や肥料などを積んで、

水田上を押して運んだそうです。

やっぱり、昔は大変だなあ

 

 

 

この周辺をちらっと

 

 

 

一階店舗、二階はアパート?の造りのようでした。

 

たぬきさんに、たぬきの置物~照れ