堺市、紀州街道沿いや近辺に、まだまだいい物件ありそうなので

自転車で出かけました。自転車

すきま時間でしたので、今回目的地の途中までしか行けませんでした。

 

 

 

明治の後期に建てられた

旧大阪織物株式会社の遺構です。

 

 

 

往時は多数の女工さんが働いていたようです。

私の貧困なイメージは、ああ、野麦峠

 

家計を助けるため、ふるさとを離れて、一生懸命働いていたのでしょう。

女工さんも会社も、大大阪時代を、日本を支えていたんですね。

 

 

 

寄宿舎もあったようです。

この高く堅牢な塀

 

この遺構は、少し物悲しいです。

 

隣の公園には、モニュメントが作られていました。

 

 

そこにはめ込まれていた往時の煉瓦には、大阪窯業の刻印がありました。

刻印て初めて見ました。

 

 

 

 

旧大阪織物からすぐ

こちらも明治後期に建てられた紡績会社の社屋。

 

 

一目見て、ああ素敵だな、

なんだろう感動する。

外観、この建物ありのままに使われているところが、引き付けられます。

元の建物を尊重されているのが伝わります。

 

 

 

 

この建物は、写真家の方がスタジオやイベントスペースとして活用されています。

 

ネットで、HPやこの写真家のかたのインタビューを読んだのですが

地域の交流や文化の発信のため、この建物を生かしたいというお考えのようです。

写真家さんなので、富士フィルムが堺発祥ということに言及されていて、

株式会社ダイセルの前進となる大日本セルロイドの写真事業部門から富士フイルムが生まれたそうですね。

大日本セルロイドは大阪織物の隣にありました。

 

その遺構が、イオンモール堺鉄砲町に赤レンガ館として残っています。

 

 

 

 

紀州街道を南下

それにしても、紀州街道は出桁、厨子二階、箱軒、大阪出格子、などを持つ町屋の宝庫!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怪しかったんでしょう。

ワンちゃんに吠えられました滝汗 ぷぷぷ

 

こちらはちょっと変わり種

和洋折衷、コの字型の建物

外壁は塗り込められていました。

もともとは下見板張りでしょうか。

 

 

 

 

玄関、引き戸が素敵

欄間には透かし彫り

 

 

 

 

 

 

続きを見るため、また近々来なくては!真顔