前回の投稿で、「焦り」という感情の根本的原因について、自己否定の感情があると述べました。

 

私はずっとこの焦りという感情が常にあるような状態で生活をしていたわけですが、

現在は「焦り」がだいぶなくなって、すごく落ち着いて暮らせるようになりました。

なぜなくなったのか。それは以下のような理由によってです。

 

  1. 自分の理想とする生き方の、方向性がつかめてきた
  2. 長期的な視点から自分の人生を捉え、無理をしないという選択をした
  3. 自分自身について知る=「諦める」
1.自分の理想とする生き方の、方向性がつかめてきた

 

これまでの自分は、なんとなく現状の自分に満足しておらず、

とりあえず自分の自己承認欲求や他者評価などによって生まれた「理想の自分」を追い求めていたところがありました。

 

しかし、具体的にどういう状況になったら自分が幸せなのか、

自分の限りある能力によってどのような生き方が自分にとってあっているのか、といった視点から考えていませんでした。

自分視点で物事を考えていなかったということです。

 

完璧に自分の理想的な人生を思い描いたり、明確なゴールを設定する必要はなくて、大切なのは

「方向性」を少しでも明確にするということです。

 

例えば、私の場合だと、「家庭は多少犠牲にしても仕事をバリバリやって名声を得る」とか

「自分の本心とは違うことでもお金になるならどんどんやる」とか、そういうことには違和感があって、

自分の性質的に「自分が本当にやりたいと思ったことを、ゆっくり形にしていく」ということしかできないし、したくない。

それ以上のことをしようとすると、無理をしなければならない。

無理をしつづけなければいけない人生で、自分が果たして幸せになるのか?と考えました。

 

どうせ、辛い人生になってしまうなら、いっそのこと、その「無理」を辞めてみればいいのではないか。

逆に自分ができることを伸ばしていくほうがいいのではないか。

今は、自分の進むべき方向性についてそんな風に考えています。

そう割り切れるようになってから、自然と焦りがなくなってきました。

「無理」をしているというだけで、自分に合わないことをしているということだと認識できたので、疲れているときや落ち込んでいるときは素直に休もう、と思えるようになりました。

 

2.長期的な視点から自分の人生を捉える

 

先日の皆川公美子さんのセッションでアドバイスされたことですが、「長期的な視点から人生を捉える」というのは、本当に大事だと思います。

私は、それまで超短期的な視点でその場その場で生きていたようなところがあるので、

先の未来を見通す力がなかったし、むしろ未来のことを考えると怖くなるので考えないようにしていたところがありました笑い泣き

そして、常に今、走り続けていなければならないような焦燥感がありました。(常にフルスロットルで走り続けなければ的な)

 

でも、マラソンランナーもそうですが、コース全体の長さや坂道などの形状、自分自身のコンディションやこれまでのタイムなどを把握せずに、初めからフルスロットルで走りつづけようとしたら必ずどこかで力尽きますよね。

平野では早めに走って、とか、ここでは体力を温存して、とかそういう戦略を考えるわけです。

そういう風に考えたら、今の私の置かれている状況について、「そもそも今全力で走る時期ではないのではないか?」

「今はむしろ自分の心をいやしたり、耕したり、次に走り出すときの準備をする時期なのではないか?」と現状認識が変わったのです。

 

そう捉えれば、今むしろジタバタするよりも、これからもっと相応しい時期が来た時のための実力を蓄えたり、下地を作る時期としていけばよいのではないかと思えるようになったので、無駄に焦ることがなくなりました。

 

3.自分自身について知る=「諦める」

 

これが一番大きいのですが、やはり「自己受容」が大事ということです。

自分自身について知る、自分は何者なのかを把握するということですが、それはいろんなことを「諦める」ということでもあります。

 

「諦める」と聞けば、マイナスなイメージに捉えられるかもしれません。

若いときは、自分には無限の可能性があると思っていたので、本当に、自分が努力すれば、なんにでもなれると思っていたんです。

他人との人間関係だって、自分の力次第でどうにかできることがたくさんあると思っていました。

 

しかし、私もいろいろな経験を経て、いろんな専門家の方にアドバイスをもらって、やはり、自分の力や時間的な制限、そして他人はどうしても変えられないということが、やっとわかってきました。

そして、これまで焦りという形で自分を縛ってきたもの、つまり様々な無理な要求を手放せば、むしろ心が自由になるということを感じたのです。

 

例えば、大きな家に住みたい、だからお金を稼げる仕事に就きたい、そのためにはもっと働かなければならない、家族に対して我慢しなければならない、無駄なことに時間を使ってはいけない、・・・などなど。

「理想の生活」のイメージや、「理想の自分」みたいなものを形作る自分の欲求というものを、いったん手放してみて、「もう一生、こういう自分のままでいいか・・・」みたいに思ったとき、自然と心が軽くなれたんですよね。

 

今までは、現状の自分を肯定すること=負けること「理想」の追求から降りること、だと思っていたので、現状の自分を自己肯定することは絶対にできないと思っていたのかもしれません。

ところが、現状の自分を受け入れることをしない限り、自分軸で考えることが出来ないので、結果的に苦しむだけなんですよね。

自己受容をちょっとずつできるようになってくると、焦りを感じても、「ああ、そんな風に思ってるってことは、まだ私も自分を受け入れていないところがあるんだなぁ~」という感じで、俯瞰で捉えられるようになってきました。

そうすると、以前よりもだいぶ楽に過ごせるようになってきた気がします。

 

***************

 

最後に、それでも焦りの感情がやってきたとき、私が最近よく思うことです。

 

今、自分が何もできなかったとしても、何かミスをしてしまったとしても

それが原因で怒られたり仕事を切られたりしても、それはそれだし、自分がダメになるわけでも、自分の人生がそのせいでダメになるわけでもない。

誰かに嫌われたとしても、その人は自分の人生に合わなかっただけ。

長期的な視点から見れば、今まで自分の些細な行動によって重大な何かが起こったことなんてない。

私は今も生きてるし、明日も10年後も生き続ける。

 

そう思うと、不思議と目の前の仕事に対して淡々と取り掛かれるんですよね。

これまでだと、「ここで頑張って認められないと~!!」みたいな、変な力の入り方になってしまったりしていました笑い泣き

今は「私は自分ができる範囲のことを、自分なりのペースでやっていきますので、それでいいならやりますが、出来なかったらごめんなさい!!みたいな感じでやっていて、

逆に、それぐらいのスタンスのほうが、仕事相手もやりやすいのか、割と仕事を頼まれることも増えてきました。

 

焦りの感情は、自己肯定感、自己受容感や自己承認欲求などとも深く関わっていると思うので、もう少し掘り下げてみたいと思いますが

とりあえず、常に焦っていてつらい、という人は、何らかの参考にしてもらえればうれしいです。

 

 

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