こんにちはnagisa(なぎさ)です
■「願望実現」に潜む罠
皆さんの中にも、願望実現とか、なりたい自分になるとか、
そういったことに興味関心がある方も多いと思います。
最近よく思うんですが、これまでの願望実現とか、自己実現のやり方って、
明確な目標を立てて、そこに至るまでの過程を細分化して、一つ一つやっていく、というものが代表的だし一般的だと思います。
ビジネスの世界ではPDCAサイクルといわれているもののことです。
もうPDCAは古いといわれていますが、普通の日常生活や頭で考えることの範囲では
まだ、「目標」、「計画」、「実行」という流れは普通に行われていると思います。
でも、そういうやり方って、これからも有効なのかな?っていうことを疑問に思っています。
なぜなら、その立てた「目標」っていうものは、
その時点の自分の考えや思考の結果生まれたものなので、
そもそもその時点の自分の考え方が間違っていたり、視野が狭いものだったりしたら
その目標が仮に達成されたときに、本当に自分は思ったような満足感や充実感を得られるのかな?と。
■「偽の願望」と「真の願望」
例えば、ダイエットをして45kgまで体重を落としたいという目標を立てる。
そのために、食事を制限したり運動をしたり、いろいろ努力して
結果的に45㎏になれたとする。
でもその時に、「あれ、実際に痩せることができたけど、なんかまだ満たされていない感じがするな」とか
「もっと痩せたい」とか思ったりする場合もあると思うんですよね。
「なんか違うな?」という感覚。
何が言いたいかというと、その「願望」や「目標」の背後に、「真の願望」が隠れていて、
いろいろなしがらみや他人の目、自分自身の声を抑圧することによって
「偽りの願望」が生まれてきて、
「真の願望」から目をそらしている場合があるのではないかということ。
例えば、適齢期の女性が「結婚したい」と思って、婚活をして相手を探そうとする。
でも、その人がただ「結婚したい」だけなのか、「恋愛をしたい」のか、「誰かと一緒に暮らしたい」のか、「子供が欲しい」のか、
その人が本当に欲しいものが何なのか、ということを考えない限り、仮に結婚しても幸せにはならないんじゃないかと思うわけです。
そうやって自分を掘り下げていくと、もしかすると「結婚」ではなく、「心の安定」が欲しいのかもしれない。
パートナーよりも金銭的な安定が必要なのかもしれない。
もしかすると結婚は周りがしてるからしたいだけで、自分としては一人で生きていくのは苦じゃないと思っているかもしれない。
もし、世界中の人が全員結婚をしない社会だとしても、自分は結婚(一人の人と一生共に過ごす)をしたいのか、
ということを突き詰めて考えたほうがいいかもしれない。
そうやって考えていくと、例えば仕事とか、人間関係とか、結婚とか離婚とか、ダイエットとか日常的なことでも
なんでもよく「目標を明確に!」といわれるんだけど、
一つの目標を決めて、そこに向かっていくっていうやり方は、
そもそもその目標が間違っていた時に、ただ間違った方向へ行ってしまったということになりかねない。
下のダルビッシュの言葉とかも近いものがあるんですけど(笑)
練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。
— ダルビッシュ有(Yu Darvish) (@faridyu) June 11, 2010
その「方向性」の検討をしない限り、ただがむしゃらに突き進んで目の前の「課題」をクリアしているように見えても
根本的な部分で違っていた、ということもあるのではないか。
■「不確実な時代」を生きるための技術
そしてそもそも、これからの時代は不確実性の時代と言われていて、
今まではある程度未来がこういう風に発展していくとか、
10年後20年後の未来というものが安定的にこうなっていくという予測ができた社会だったんですが
これからはそれが全く分からない、予測できない時代と言われています。
- V:Volatility(変動性)
- U:Uncertainty(不確実性)
- C:Complexity(複雑性)
- A:Ambiguity(曖昧性)
の頭文字をとってVUCA(ブーカ)時代とも呼ばれています。
社会そのものがかわってきているので、これまでのやり方のように、
目標を立ててそれに向かって計画を進めていく、というだけでは
望む未来や結果が生じない可能性があるということです。
じゃあどうすればよいか。
目標を見据えるということ自体は悪くないと思います。
目印がないと先に進めないし不安になります。
ただ、大事なのは、その目標が自分の真実に沿ったものなのか、ということを常に検討すること。
それは自分の基準に合っていることなのか、を検討し、もしずれていたら修正すること。
常に軌道修正や方向転換をできる柔軟さが必要だということです。
■「結果」よりも「過程」に価値を置く
でも具体的にどうするの・・・ということですが
これは私の個人的な考えですが、
「目標」に到達したときの「結果」を得ることを求めるのではなく
そこに至るまでの過程や経験に価値を置くことが重要なのではないかと思います。
やっていることそのものを楽しんだり、没頭したりすることそのものに重点を移すわけです。
結果を目標に据えて逆算していくと、そこに至らない現実やこなせなかった課題など「不足」が目につき、
自己肯定感が低下したり実行力のなさに落ち込んだりしてしまいがちです。
しかし、「過程」に価値をおけば、取り組んでいることそのものを楽しむことができ、
もし「結果」がついてこなかったとしても、それにチャレンジしたことそのものや
新しい経験ができたということに価値を感じられるので
自分の満足度は高まると思うのです。
例えばダイエットの例でも、○○kg痩せる、と決めて「結果」を到達目標にすると、
痩せていない現実と痩せるまでの道のりがつらく思えます。
一方、「過程」に重点を置けば、なぜ体重が増えてしまったのかという根本原因を考え
もっと運動しやすい環境を整えるとか、食事をとる時間を変える、とか、
それによって自分の生活がどのように変わり、もっと自分に合ったやり方を考えられるし、
そのほうがやっていて楽しいしモチベーションも上がると思うのです。
痩せるという結果は二の次ですが、結果的にそのほうがリバウンドをしない生活スタイルが確立できるのかもしれません。
もしくは、体重という数値は関係なくなり、生活そのものが変わったことによって考え方や意識も変わるかもしれません。
あとやはり、「自己受容」が出来ていない場合、
思い浮かぶ「願望」が偽の願望である可能性が高く、
結局願望が実現できたとしても幸せにならない、ということが起きてしまうことがあります。
自己受容については以下のエントリーで取り上げています。
それについては次のエントリーで書いていきたいと思います。
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