三百五十話  ニ宮翁 夜話より | コール通信 UsuiTukasa

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        ねてもさめても有明の月

 あるひとが、先生の歌に「春は花 秋は紅葉と夢うつつ 寝ても醒めても有明の月」とありますが、どういう意味なのですか、とたずねた。翁はいわれた。――これは「色即是空、空即是色」(心経)といった心を詠んだものだ。およそ「色」とは肉眼に見えるものをいうのであって、天地間の森羅万象ことごとくそれだ。「空」とは肉眼にみえないものをいうのであって、老子のいわゆる「玄のまた玄」というのも同じものだ。世界は循環変化の理に貫かれていて、「空」は「色」をあらわし、「色」は「空」に帰する。そして、すべての「色」は循環のために変化せざるをえない。これが天道なのだ。今は夏で野も山も真青だけれども、春になれば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人間も同様で、こどもは育ち、若者は老人になり、老人は死ぬ。新陳交代する世の中なのだ。さてこういう世の中ではあるが、だからといって悟ったがために花が咲くのでもなく、迷ったがために紅葉が散るのでもなく、・・・・・・・・・・・・・・・・・・
悟っても迷っても、寒い時は寒く、暑い時は暑く、死ぬ者は死に、生まれる者は生れて、少しも関係がないから、そこでこれを「ねても覚めても有明の月」と詠んだのだ。別にそのほかの意味があるわけではない。ただ、悟道というものも、あえて益がないものだということを詠んだものだ。



感想

私たちは変化循環の世界でいきています。寒い時は寒さを味わい、暑い時は暑さを味わい、決して寒い時に暑さを味わいたいのではないようです。

わたしは、今でも冬に色のうすいトマトはどうもいただけません。トマトはやはり暑い夏に食べると美味しいです。

変化があるからこそ人生がエキサイティングに感じられるのですから、変化を問題と捉えず味わうことと捉えたら人生もかわりますね。

ウスイツカサ