文字は道を伝える器機
下男が芋種を埋めて,その上に芋種と書いた木札を立てた。翁はいわれた。――そなたたち、大道は文字の上にあるものと思ったり、文字だけを研究して学問だと思っていたら間違いだ。文字は道を伝える器械であって、道そのものではない。それを、書物を読んで道だと思うのは間違いではないか。道は書物にあるのではなくて、行いにあるのだ。今あそこに立てた木札の文字を見なさい。あの札の文字によって芋種を掘り出して、畑に植えて作ればこそ食物となる。道も同じく目印の書物によって、道を求めて身に行って、はじめて道を得たことになるのだ。そうしなければ、学問とはいえない。ただの本読みに過ぎない。
わたしも、沢山の本を読んできました。良いことが書いてある、今の自分にピッタリだなどと思いよく本を読みました。
しかし、その中で実行したのはどれくらいでしょうか、殆どが読んで満足していたのではないだろうか、今まで知識を得ることが目的になっていたようで知る事まででおわっていたようです。
やはり、身に行って、はじめて解かることなのに何と思い違いを今までしていたのでしょうか、きょうの一話で気づきました。
家に帰ってきて玄関で靴を脱ぐ、そして出船にして揃え、他の人の靴も黙って揃える、このことは誰でも良い事だと知っている。
そこで本当に良い事だと得るには、良い事だと知ったことではなく、行ったその時だと言う事です。
今まで沢山の良い事を聞いたり読んだりして教えてもらってきました。一つでもこれから行って、本当に理解を得て行きたいと思います。
ありがとうございました ウスイツカサ