の特攻平和会館に行って参りました!
会館着くまでに駐車場で迷ったという事実は伏せておこうヾ(@°▽°@)
そして県内から来てるのに
「鹿児島のお茶はいかがですか~^^」
と言われてしまった・・・っ。(;°皿°)
悲しいZ(´・ω・`)
本題に入りまして←
もう・・・すごいとしか言いようがないです。
両親や恋人に宛てた手紙が本当に綺麗で、
だいたいは母親に送られていました。
父親が重んじられるであろう時代に
母親宛ての手紙が多いということが
その存在の大きさを示唆していた気がする。
たくさんの鉢巻や寄せ書きも展示されていて
全部本当に達筆で・・・
「(沖縄へ)行ってきます」の「行く」が
「征く」になっていたことにも
”特攻は正義”という感覚があったからじゃないかな。
遺品も数多く展示されていたけれど
手袋があったことに驚きました。
”この手袋を実際に付けていた”事実を考えると
”今この世にはいない”現実を目の当たりにした感じでした。
あと、血判状みたいなものも展示されてて
変色した色に時代を感じました。
血で書いた文字もあったけれど
私は特に、血で描いた”日の丸”に言葉が出ませんでした。
日本だから出来る技ですよね。
会館の至る所に日の丸が掲げてありました。
五輪で掲げられても何の感動もなかったのに
そこで展示されていた日の丸には
ものすごい迫力がありました。
会館を見て回っていると
「必死」や「必殺」の文字が結構目に入りました。
「必ず死ぬ=必死」が本当の定義であったことを知り、
「必死」の意味をだいぶ履き違えていたことが恥ずかしかった・・・
ひとつだけ別室に
海軍零式艦上戦闘機「零戦」が
無残な形で展示されていました。
その空間に入った瞬間、
他の展示室と違う空気みたいなものを感じ、
「零銭」の威圧感に圧迫され、
正直出て行こうかと思いました。
あの戦闘機に勇士が乗り込み、
南へ飛んで征ったことを考えると
少し怖かったです。
最後に勇士たちの写真について語ります。
壁一面に、特攻兵士として消えて征った勇士たちの
写真が名前とともに飾られていました。
戦争時代の人々だから
名前も堅苦しいのかと思ったら、
意外と最近の名前っぽい方もいらっしゃって、
苗字に至っては一瞬「!?」となるような
難しい漢字の方もいらっしゃいました。
個人の写真は人それぞれの写り方で、
真剣な顔で写る方もいれば、
幼さの残る無邪気な笑顔で
写っておられる方もいました。
驚いたのは、複数で撮られた写真でした。
みんな笑って写っていて、
悲しさ・辛さを感じさせない顔つきでした。
作り笑顔でないことは見てわかり、
近所の子供たちと遊ぶ姿は
戦争を忘れさせるような、微笑ましい光景でした。
特攻兵は志願兵だったようですが、
それにしても想像とまったく異なる写真に
とても驚きました。
”明日死ぬ”という感覚は
きっと一生かかっても私にはわからないと思います。
知覧基地から沖縄へと飛び立ち、
戦闘機のなかで”孤独”と”特攻への緊張”に耐えながら
大空を飛行する彼らが、
最期の最後まで後悔の念を抱かずに
笑って花を咲かせることができたことを信じたいです。
特攻は空しく苦しい戦術ですが、
日本の誇りだと思います。
私は軍国主義者ではないですが、
自己を犠牲として国を守ろうとした勇士たちを
尊敬しています。
今更ですが、
平和を願って散っていった14,009名の特攻兵士達へ
平成の世からご冥福をお祈り致します。