「何回も言い直す」と言ってくれてありがとう。だけどね。「私が辛いんだ」

 

 

何回も言ってくれる友達の方が大変だろう、苦だろうと思う人もいるかもしれないけど、実は私も苦しい。

 

 

なぜ苦しいのか、複雑な気持ちを少し言語化してみようと思う。

 

 

感音性難聴を持ってる私が自分の聞こえを説明するときによく使わせてもらうのがこちら↓

 

 

 

 

 

 

これは難聴の人が普段どういう風に聞こえているか、補聴器をしたときはどのように聞こえるかというものをうまく可視化していて、全く知識が無い人にもわかりやすく説明されているので、よく使わせてもらってる。

 

 

感音性難聴×補聴器をしている状態を見てもらったら分かると思うけど、たしかに何回も言い直すと、平仮名の部分が増えてきて、頭の中で少しずつ単語に、文章になって最終的に会話につなげられるかもしれない。

 

 

だけど、一番はね、何回も言い直してもらう、それに耐える心はない。

 

 

私の経験からだが、何回も何回も言い直してくれていると、それと同時に口調が強くなる声が大きくなる傾向がある。

 

 

私はそれに耐えられない。怒られているような感覚になるからだ。何も悪いことはしていないのに。

 

 

(聞こえにくいんだから、声が大きくなることは別にいいんじゃない?と思う方もいるかもしれないけど、声という音は聞こえていて、言葉として認識できないのが感音性難聴なので、補聴器をつけた状態で声を大きくしてもそれほど意味はない。まあ人によるけど。つまり言葉は分からないけど、怒られているという状態・・・)

 

 

口調が強くなるなら、1ミリでもあなたを不快にする可能性があるなら、私は会話しない方がましだ。そこまで思ってしまう。HSP(繊細さんと呼ばれる人)予備軍ということもあるかもしれないけど。相手の感情に敏感な私は相手が嫌な気持ちになることにとてつもなく申し訳ない気持ちになる。

 

 

こんなに頑張って、頭の中で解析して推測して、フル回転で120%で頑張ってるのに、怒られるなんて心がもたない。報われなさ過ぎている。

 

 

私は大切にしている言葉がある。「自分の心を守れるのは自分しかいない」という言葉。身体ではなく心を守れるのは自分しかいない。嫌なことや避けたいことがあれば自分の判断や直感でいいと思う。

 

 

同時にこうやってコミュニケーションの機会が減っていくんだなぁと感じた(笑)

 

 

この怒られているような感覚は難聴仲間のみなさんは経験があるかな。高齢の方に耳元で大きな声で話しているのを見るとそれもまた自分のことのように重ねてしまって苦しい。あれはその方法しかないのかな?高齢で耳が聞こえにくくはなっても、相手がどんな口調で話しているかは分かる気がするんだよなぁ・・・。

 

 

まあ友達にはもちろんこうしてほしい、この方法が分かるというのは、説明した後に伝えたけどね。ただそのこうしてほしいという方法に協力してくれないなら、厳しいかなぁ・・・。

 

 

でもこれだけは知っておいてほしい。そうやって会話しない方を選んだとしてもそれは本望ではない。話したいし、いろいろ知りたい。全力で会話を楽しめるなら、楽しみたいと思っている。

 

 

音声の会話も、手話も少し疲れてしまう中途難聴の私は、こんな感じで人から実際に吹き出しが出て話してる内容が文字として出てくるようなのが理想的かも。(異次元(笑))

 

 

 

何事も思いやりと歩み寄りですなあニコニコ

 

 

本日も読んでいただきありがとうございましたチューリップ

 

 

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