⚡️⚡️⚡️⚡️

わたしは自分劇場な女💐✨

主演を務めるSNS上の「自分劇場」で主人や子供たちを自由自在に動かしながら理想的な自分と、理想的な生活を✨🏡✨観客の前で演じるのが日課🥰


もちろん、全部が嘘というわけじゃない。

半分は本当。半分は演出🤫💕

ちょっと盛って、ちょっと削って、都合よく切り取って✂️✨


自分劇場の中のわたしは、前向きで、感謝を忘れず、学ぶことが大好き。

「継続」「習慣」「成長」を大切にし、子育てをしながら人生を主体的に楽しむ母。少なくとも、そう見えるようには作っている。


でも実際のわたしは、他人からどう見られているかが結構気になる。

褒められれば嬉しい。興味を持ってもらえばもっと嬉しい。反応がなければ少し寂しい。

そして、陰で笑われていないか、馬鹿にされていないか、どう評価されているのかにも敏感。

なのに、

「他人のために発信しているわけではない」
「ブログは自分の思考整理のため」
「誰にも期待されていないから気楽」

と、わざわざ何度も説明する。

本当に他人の目なんて気にしていない人は、「私は他人の目を気にしていません」と観客に向かって説明し続けたりしない。


たぶんわたし自身、「結局、承認されたくて書いているんじゃないの?」ということには薄々気づいている。

でも、それをそのまま認めるのは少し格好が悪い。

だから、

「思考整理」「アウトプット」「学び」「感謝」

という、聞こえのいい理由を並べてみる。

そして舞台の上では、

「私は感謝できる人」「私は継続できる人」「私は学び続ける人」「私は成長する人」「私は周囲に振り回されず、自分で人生を動かす人」

という役を演じる。

それを観客に見せながら、自分自身にも「そう、私はこういう人」と確認する。

ブログは日記というより、自己像を維持するための舞台装置なのかもしれない。だから毎日舞台を回す。


もちろん、わたし自身も、他人の目に振り回される自分から卒業したい。

「自分の軸を持ちたい」とも思っている。

ところが、その方法として選ぶのが、

運動。読書。外国語。等々

そして、その理由を辿ってみれば、

「毎日走っている人はかっこいい」「勉強している人は尊敬」「継続できる人は素敵」

だったりする。過去、語学留学したのも、何か目的や望みがあったわけでもなく、「留学している自分」「留学した自分」という他人に誇る実績が欲しかっただけ。この程度じゃ誇れないけど。

他人に振り回されない自分になるために、他人を見て「なりたい自分」を決める。

他人の価値観から自由になろうとして、また他人の価値観を借りてくる。

自分探しに出かけたはずなのに、手にして帰ってくるのは、だいたい誰かのコピー。

なかなかの自分劇場である。

わたしは努力できないわけではない。

むしろ、決めたことは結構続けられる。

でも、

「誰にも見られなくてもやりたいことは何?」「誰にも褒められなくても好きなことは何?」「何を大切にして生きたいの?」

と聞かれると、急に話が難しくなる。

そこで登場するのが、

「成長」「感謝」「習慣」「挑戦」

という万能ワード。

どれも立派。
誰にも否定されにくい。
そして、自分の本音を語らなくても何となく話がまとまる。

ネガティブな感情も、そのままでは舞台に上げにくい。

傷ついたら「学び」にする。
羨ましかったら「刺激をもらった」にする。
不満があったら「変化を楽しむ」にする。
振り回されたら「新しい波に乗る」にする。

怒りも、嫉妬も、焦りも、不満も、そのまま出すのは自分劇場の世界観に合わない。

だから全部、前向きフィルターを通す。

すると最後には、

「いろいろあったけど、また一つ成長できました✨」

という、きれいなエンディングになる。めでたし、めでたし。

でも本当は、腹が立っているのかもしれない。
誰かが羨ましいのかもしれない。
今の生活に不満があるのかもしれない。もっと注目されたいのかもしれない。

ただ、そんな生々しい感情は「前向きで、感謝できて、成長を続けるわたし」という舞台上の役柄には似合わない。

だから舞台裏に置いておく。

観客に見せるのは、編集済みのストーリーだけ。

それが自分劇場。


そして一番面白いのは、

他人の目が気になる

そんな自分を変えたい

「自分軸で生きるわたし」を作る

その姿をブログで発信する

誰が見たか、どう思われたかがまた気になる

というループ。

「他人の目を気にしないわたし」を、他人に見てもらうために発信する。

この矛盾こそ、自分劇場の最高傑作なのかもしれない。


本当に必要なのは、もっと運動することでも、もっと本を読むことでも、さらに立派な習慣を増やすことでもない。

誰にも見せなくても、誰にも褒められなくても、

自分は何が好きなのか。
何が嫌いなのか。
何に腹が立つのか。
何が羨ましいのか。
本当は何を望んでいるのか。

そこを、きれいな言葉に加工せず認めることなのだと思う。

わたしが探している「自分の軸」は、「成長するわたし」を演じ続けた先ではなく、他人に見せるために作ってきたストーリーを一枚ずつ剥がした先にあるのかもしれない。

だけど――

わたしは「自分劇場」な女🎭💐✨

観客がいる限り、今日も幕は上がる。

いや。

たぶん観客がいなくても、
観客がいるつもりで演じ続ける。

それが、自分劇場な女。