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「限定フレーバーなら喜ぶだろう」という発想から卒業してもいい年齢?


シンガポールに住んでいると、日本から友人や知人が訪ねてきてくれることがある。逆に、一時帰国すると旧友や仕事関係の方と会う機会も多い。


そのたびに、少し考えてしまうことがある。

「シンガポール限定ラクサ味」
「チリクラブ味」
「マーライオンのパッケージ」


そんな、日本でも普通に売っているお菓子の”ご当地限定版”を、大人への手土産として選ぶ感覚だ。


もちろん、これを否定するつもりはない。

珍しい味を楽しむ人もいるだろうし、「限定」というだけでワクワクする人もいる。家族や親戚の子ども、友人のお子さんへのお土産なら、「面白いね」「変わった味だね」で十分成立する。


しかし、大人同士の付き合いとなると話は違う。

時間を作って会ってくれる相手への感謝や敬意を表す場面で、「限定だから」「かわいいから」「シンガポールっぽいから」という理由だけで選ばれた大量生産のお菓子を差し出すことに、私はどうにも違和感を覚える。


値段ではない。

数百円でも、その土地で長く愛されている店のお菓子や、本当に美味しいと思ったものはたくさんある。

「これ、美味しかったから食べてみてほしい。」

そんな一言を添えられるものを選ぶのと、「限定って書いてあったから」で済ませるのとでは、同じ数百円でも、その背景にある気持ちはまったく違う。


四十を過ぎれば、物を贈るという行為は、単なるイベントではなく、その人の美意識や相手との向き合い方が表れるものだと思う。


だからこそ、「限定」「かわいい」「SNS映え」といった表面的な要素だけで形式的に選ぶ姿を見ると、私にはどこか感性が若いまま止まってしまっているように映る。


年齢を重ねれば自然に成熟するわけではない。


相手が何を喜ぶかを考え、自分が本当に価値を感じたものを選ぶ。その積み重ねが、大人らしい贈り物の感覚を育てていくのだと思う。


私は、限定フレーバーのお菓子をもらって喜ぶ人がいることを否定しない。


ただ、自分自身は、大人同士の手土産としてそれを安易に選ぶことはない。

「海外限定だから。」
「かわいいから。」
「シンガポールらしいから。」

その程度の理由で選ぶのではなく、「これなら相手に喜んでもらえる」と思えるものを探す時間こそが、相手への敬意だと考えているからだ。


手土産とは、物を渡す行為ではない。

相手をどう見ているか、自分がどれだけその時間を大切に思っているかを、さりげなく伝えるための、小さな表現なのである。