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まめ子です。
海外駐在に帯同していると、ふと違和感を覚えることがある。
配偶者の転勤で、大阪に行く。上海に行く。ソウル、ニューヨーク、パリ、シンガポールに行く。
もちろん、住む場所が変わることは大きな出来事。環境も言葉も文化も変わるし、慣れるまでは大変なこともたくさんある。
でも一方で、冷静に考えると、配偶者が本社とは違う場所に転勤になり、家族がそれに伴って引っ越した、というだけのことでもある。
それがたまたま「海外」だったり、「一般的に格好良いとされる都市」だったりすることで、その妻、いわゆる駐妻が、まるで自分自身が何か特別な挑戦を成し遂げているかのように振る舞うのを見ると、違和感を覚える。
もちろん、子どもたちは本当に大変だ。
突然、現地校に入る。言葉も文化も違う場所で、友達を作り、勉強し、毎日を過ごす。
それは間違いなく人生の大きな挑戦。もしかすると、日本企業の駐在員であるパパよりも、子どもたちのほうがずっと高いハードシップを背負っているのかもしれない。
では、私たち帯同する配偶者にとってはどうなのだろうか。
熊谷から大宮に引っ越すこと。板橋から品川に引っ越すこと。日本から海外に引っ越すこと。
もちろん違いはある。言葉、生活習慣、買い物、医療、学校、手続き。日本にいる時とは違う不便さや孤独もあるかもしれない。
でも、日本人コミュニティの中で暮らし、日本人の友人と過ごし、家族の生活を支える日々だけであれば、実は場所が大宮であっても、海外であっても、生活の本質はそこまで大きく変わらないのではないか、と感じることもある。シンガポールは、もっとも外国暮らしっぽくない場所の一つでもある。
結局、大切なのは「どこにいるか」ではなく、「その場所で自分の人生を主体的に生きているか」なのだと思う。
海外駐在に帯同していること自体が、自分の人生のすべてになってしまっているような人を私は好きではない。
もちろん、家族を支えるために一時的に自分のキャリアを止めている人もいる。もともと専業で家庭を支えている人もいる。
日本とは違う環境の中で、日々苦労しながら暮らしている人もたくさんいる。
それ自体は、とても尊いこと。
ただ、「駐妻であること」そのものを特別な肩書きのように捉えたり、海外にいることを理由に自分の人生をどこか他人任せにしてしまったりする感覚を私は理解できない。
配偶者の海外転勤に伴い、一時的に自分のキャリアや主体的な生き方を中断している皆さん。
今は家族を支える時期かもしれない。少し立ち止まり、英気を養う時期かもしれない。
でも、帰国後にはまた、自分自身が当事者である人生を取り戻していきたい。
そして、自分が前向きに、自分らしく生きることが、結果的に家族の幸せにも良い影響を与える。そんな生き方ができたらいいなと思う。
私自身も、今は夫と家族を支える役割が大きい日々。
限りある駐在生活の中で、その役割を大切にしながらも、主体的に生きる気持ちは忘れずにいたい。
そして帰国後は、私自身も、夫も、子どもたちも、家族みんながそれぞれ自分の人生の主人公として生きていけたらいいなと思う。
