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少し前、テレビで取り上げられたある家族の炎上騒動。📺🔥



番組側の演出もあってか、「親が子どもをヤングケアラーにさせているのではないか」との批判が噴出。ネット上で一気に燃え広がった件である。



そして、その後さらに驚いたのが、両親がInstagramにさまざまな投稿をしていたこと。


その結果、家族のプライバシーが次々と掘られ、晒され、収拾のつかない状態へ。見ていて何とも言えない気持ちになった。😢



駐妻ブログを目にし、同じような懸念を感じることがある。



お子さんの一挙手一投足をカメラに収め、日常の細部まで公開。


顔だけでなく、振る舞い、性格、通っている学校、生活パターンまでうっすら見えてしまう投稿の数々。📷👦👧


ご主人についても同様。顔は隠していても、体型、雰囲気、行動範囲、家族構成、暮らしぶりがにじみ出る。


もちろん同じ場所の駐在員ならご主人の勤務先も推測はついてしまう現実。


そしてご本人も、写真写りの良いもの、キラキラして見えるものは抑えきれず掲載。承認欲求の気配。✨📱



だが、狭い海外駐在の世界では、名前や学校名や顔を少し隠した程度では意味が薄い。


「あ、あの家族ね」と分かる人には分かってしまう世界。


つまり、隠しているようで隠せていないプライバシー。ダダ漏れの個人情報。🫠💦



しかも怖いのはその先である。


もし犯罪者の目に留まったら。


もし恨みや妬みを持つ誰かの標的になったら。
もし、ほんの小さなきっかけで、不特定多数の悪意にさらされたら。


そうなったとき、どうするのだろうか。🔍⚠️



そもそも、幸せなら、なぜその幸せを世界に向けて発信し続ける必要があるのか。


発信しなければ幸せを実感できないのか。


あるいは、暇を埋めるための材料として家族が使われているのか。


“有名ブロガー気取り”という幻想の中で、家族のプライバシーを差し出しながら、自分の自己肯定感を満たしているのだろうか。🤳💭


もちろん、SNSやブログを全否定したいわけではない。


思い出を残したい気持ち。誰かとつながりたい気持ち。発信する楽しさ。


それ自体は理解できる。🌿

わたしもやってるし。


でも、その代償を払わされるのが、まだ自分の意思で拒否も選択もできない子どもたちだとしたら。


話はまったく別。


一度ネットに出た情報は、簡単には消えない。
いわゆるデジタルタトゥー。


消したつもりでも残る痕跡。コピーされ、保存され、思わぬ場所で再拡散される現実。🕳️📡


何かあってから後悔しても遅い。取り返しのつかない事態。


大人は自業自得で済むかもしれない。
だが、子どもは違う。


親の承認欲求や暇つぶしや自己演出のために、将来ある子どもたちのプライバシーが切り売りされていく光景。


それがただただ不憫でならない。😔


発信の自由。
その一方で、守るべき境界線。


今の時代、本当に必要なのは「何を載せるか」よりも、「何を載せないか」という感覚なのかもしれない。🛑



家族を愛しているのなら、見せることより守ること。


その当たり前を忘れたくないものだと思う。