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「母になったから仕事を諦めた」「母だから節約してる」「妻だから主人の赴任に帯同した」「母だから我慢は当然」等々。
極々一部の方々だけど、「駐妻ブログ」にも、こんな文言が並ぶことがある。
でもね、主語は『母』じゃなくて『わたし』でしょ?っていつも思う💢
『母』は家族内の関係性を示すただの名詞。職業名でも役職名でもない。ましてや人柄や性格を表す言葉でもない。『兄』『妹』『いとこ』と同じ。
「姉だから仕事を諦めました」ってロジック、聞いたことある?
「『母』」という単語に、昭和時代に確かに存在した“当然の義務”や“固定の役割”をくっつけて、自分の選択の言い訳に使うのは姑息だからやめて欲しい。私はそう思う。
駐妻生活。
確かに配偶者の仕事の事情を受け入れての海外帯同生活なので、ある程度受動的なのは仕方ない。
だからといって、日本にいる時とは違って、それ自体がキラキラ生活への優先切符になるわけではない。
「「母」として「妻」として、慣れない海外生活、心細い中でも家族の健康と安全を願って一生懸命日々を過ごしています(日々カフェでランチし、ブログに"自分の記録として"あげています)。」
うん?これって??
『母』『妻』?
言い訳??
前向きに生きられないのも、自立できないのも、中身が空っぽなのも——それは『母』だからじゃなくて、『わたし』の課題でしょ。
同じ「母」でも、外で働くのが楽しい人もいれば、家で家事や育児を丁寧にするのが好きな人もいる。
——どっちも正しいし、その間には無数のグラデーションがある。共通点は「子どものいる女性=母である」という事実だけ。それ以上でも以下でもない。🎨
「母だから」は便利な前置き。
社会からの期待に応えられない自分の罪悪感にも、なりたかった/なりたい自分になれていない自分の努力不足にもそっとフタをしてくれる“魔法の言葉”。
キラキラブログで言い訳を美化すれば、美しい(?)ストーリーの完成🎉㊗️
夫の海外駐在に帯同しても、本当は働きたいなら話し合って働けばいいじゃないの。ボランティアから始めたっていいし、リモートでできることだってあるかもしれない。勉強したければ学校にちゃんと通えばいいじゃない。勉強は周囲に「勉強してます」とアピールするためのものではない。語学勉強ポーズ・・・。
夫のせいにしないで。駐妻を言い訳にしないで。
働くのも、働かないのも、家を回すのも。自分次第、「わたし」次第。家族を言い訳にしないでよ。💼🏠
- フルタイムでバリバリ働く → 最高。
- パートでバランス取る → 最高。
- 家事・育児をメインで担う → それも最高。
- 起業、学び直し、休む、旅する → ぜんぶ最高。
- 夫・子供の人生、そう家族の生活がわたしの全て。わたしは『妻』『母』として、全力で家族をサポートします。仕事は主人がするなと言うから、子供のそばにいてあげたいからうんぬんカンヌン。 → え、あなたの『わたし』としての主体的人生はどこに??
『母』を言い訳に、夫の海外駐在についていき、毎日カフェでランチ、ニューオープンのおしゃれスポットを撮影、自宅コンドの“いい部分だけ”をチラ見せして——あたかも高級でキラキラな生活を送っているかのように真実を上塗り。
日本に住んでいようがシンガポールに住んでいようが、宇宙に住んでいようが、場所があなたの人生をキラキラにするわけではない。
そもそもキラキラって内面的なことじゃないの?羨ましがられる生活をすること??
『わたし』の人生じゃなく、夫や子供の人生を都合よく『母』の物語に見せているだけじゃないの?
何かに言及するにもいつも「主人も好きな」とか「子供たちも行きたいと言っている」とか、「わたしが好きな」とか「わたしが行きたかった」とか「わたし」が主語ではなく、家族を使う。
子供が「クラスのみんなが持ってるから欲しい」とか「みんな言ってるよ」と言うのと同じ。自分だけだと自信無い。
子供の学校行事=『母』としての行事。
うん?子供の生活に依存しないでよ!
子供が巣立った後、どうするのかな。
社会人編とか、結婚編とか、これからも密着取材を続けるのかしら。
帰国後の狭い賃貸マンションのバルコニーもブログにあげるのかなぁ💦😅🙇♂️