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「あなたはどのような人ですか?」



「わたしは、主人と子供2人の4人家族で主婦をさせてもらっています。」





「いや、あなた自身のことを聞いているのですよ。あなたはどのような人ですか?」



「主人や家族からは、他人の目を気にしすぎて落ち込んだりすることはあるけど、気が強くてしっかり者、だけど、ひょうきんなところもある優しい妻であり母であると言われます。」





「いや、ですから、あなた自身のことをあなた自身がどのような人と自己認識しているかを聞いているのです。あなたはどのような人ですか?」



「〇〇県出身で、大学卒業後小売店に就職しましたが、その後、1年間海外留学し、長男の出産を機に仕事を辞め、それ以来専業主婦をさせてもらっています。」





「いや、あなたの経歴を聞いているのではなく、あなたがどのような人であるかが知りたいのです。そもそも20年前の1年間の語学留学があなた自身の何を説明していることになるというのでしょうか。あらためてお伺いしますが、あなたはどのような人ですか?」



「実家の両親には、しっかり者で完璧主義の典型的な長女気質と言われますが、お友達には、しっかり者だけど、ちょっと抜けてるとこもあって、そこが可愛よね、なんて言われることもあります。」





「いや、ですから、あなた自身のことをあなた自身がどのような人と自己認識しているかを聞いているのです。あなたは自分の言葉で自分を表現することが苦手なのでしょうか?」



「はい、主人にももっと周りの目とか気にしないで自分の思いを口にしてもいいんだよってよく言われます。」






「もういいです。」


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こういう問いに、自分の言葉で自分のことを説明できるかどうかって、これまでいかに自分の人生を主体的に生き、心が成熟しているかどうか次第なんだと思う。



一般的には受験勉強主体で自己主張が苦手な日本人にはうまく説明できない人が多く、その反対のアメリカ人にはうまく表現するのが得意な人が多い印象。



無意識に、常に他人からの評価で自身の価値を推し量ろうとしている人というのは、心が未成熟で自分自身が信じる絶対的な価値観を形成できぬまま大人になってしまったんだろうなと思う。




だから1人の時間を過ごすのが苦手で、常に「家族やお友達に囲まれている中にいる自分」でないと不安になってしまうのだと思う。




教育って、社会の中で他者とうまくやっていける能力を身につけると同時に、自分自身の価値観を形成して、1人でも自立して生きていける能力を身につけることでもあるんだろうなと。