2021年1月16日実施の大学入学共通テスト「国語」の古文の出題箇所(栄花物語)の現代語訳です。

※共テ漢文2021年の訳はこちら

原文:大北の方も、この殿ばらも、またおしかへし……

大北の方[=斉信(大納言殿)の妻]も、故人と縁故のあった人々も、また[=死去のときと同様に]繰り返し、転げ回って嘆きなさる。このことさえも、悲しく不吉なことだと言わなかったら、他にどんなことを悲しく不吉だと言うだろうか(いや、言いようもない)と見えた。さて、(亡骸を運ぶ)牛車の後ろに、大納言殿(斉信)・中納言殿(長家)が乗り、葬列に付き添うべき人々が歩いて付いていきなさる。言葉で表そうとすると、いい加減なことになり、様子を写し取ることはできない。

大北の方の御牛車や、女房たちの牛車などをその後ろに引き連れている。お供の人々などは数の分からないほど多い。法住寺の方では、普通のお越しとも違う御車などの様子を見て、僧都の君[=故人のおじ]は、涙に暮れて、拝見なさることもできない。そうして御車を止めて(牛を外し)轅(ながえ)を下ろして、続いて人々が(牛車から)降りた。

さて、この(四十九日までの)物忌の間は、(同行した関係者は)皆、どなたもそこ[=法住寺]に籠っていらっしゃるはずだった。(長家が)山のほうをぼんやりと眺めなさると、木々はさりげなく様々に色付いている。鹿の鳴く音に目も覚めなさり、さらにもう少し心細さが募りなさる。(彰子ら)宮さま達からも、気持ちの慰められなさるだろうご連絡がたびたびあるけれど、今はただ(悪い)夢を見ているようにばかり感じられて、暮らしなさる。月が大変明るいのにも、ひたすらに気持ちをすり減らしなさる。

宮中の女房からも、色々とご連絡申し上げるけれども、まずまずの相手に対しては、長家は「間もなく自分で(直接お目にかかりましょう)」とだけ書きなさる。

進内侍とお呼びする女房が(長家に)申し上げた。

契りけん千代は涙の水底に枕ばかりや浮きて見ゆらん
(「千年でも一緒にいよう」と約束したようなその千年は、涙の水底に沈んでしまい、その涙にあなたの枕ばかりが浮いて見えているのだろうか)

中納言殿[=長家]の御返歌、

起き臥しの契りはたえて尽きせねば枕を浮くる涙なりけり
(起きても寝ても誓った約束がすっかり絶えてしまわないので、枕を浮かせる涙なのだなぁ。※諸註に「尽きせねば」は「尽きせぬは」の誤りだという指摘もある)

また、東宮[敦良親王、彰子の子、長家の甥]の男児[親仁親王]の御乳母である小弁は、

悲しさをかつは思ひも慰めよ誰もつひにはとまるべき世か
(奥様を亡くされた悲しみを、一方では落ち着けてください。誰でも、最終的には、生きて留まり続けることのできる世の中でしょうか、いえ、誰も留まれないのです)

(長家の)御返歌、

慰むる方しなければ世の中の常なきことも知られざりけり
(悲しみを抑える方法もないので、世間が無常であることなども納得することができないのだなぁ)

このようにお思いになり、和歌をお詠みになるにつけても、
「いやぁ、(和歌が返せるとは)私はまだしっかりと物を考えられるのであるようだ(動揺で正気を失ってはいないようだ)、この上、数ヶ月、数年も経ったら、(彼女のことを)忘れることもあるのだろうか」
と、自分の心ではあるけれど、憂鬱に思われなさる。

「(亡き妻は)は、どんなことにつけても『どうしてこんなにも(優れているのだろう)』と感じがよくいらっしゃったのになぁ、容姿をはじめ、性格、筆跡もよく、絵などに深く関心があり、つい先頃まで、ご熱心に、うつ伏しうつ伏ししてお描きになったのになぁ。この夏に(亡き妻が)描いた絵を枇杷殿[=妍子]に持って行き申し上げたところ、大変面白がって褒めなさって受納しなさったが、よくぞ持参したものだなぁ」
などと、思い出しなさらないことはなく、何につけても恋しくばかり思い出し申し上げなさる。

長年、(亡き妻が)書き取りなさった絵物語などは、みな焼けてしまった後、去年・今年の間に書き取りなさったものも大変多かったが、実家に戻ったら、(亡き妻の絵を)取り出して何度も見て気持ちを慰めようと思われなさった。

 

共通テスト「国語」2021年の古文解答・解説

問1
ア:④。え+打消なので、②は外れる。③にしたくなるが、直前の「言へばおろかなり」=「(死去の悲しみは)言葉にするといい加減になる」からの流れを考えたい。現実を言葉で真似て表現することができないということ。
イ:③。目安し=見苦しくない、見た目の感じがまずまずよい、という古文単語の意味で取って③。①④は尊敬語が無い。
ウ:①。里=実家。旧都は「ふるさと」。③のように山里に行ってしまうと、妻の形見の絵を眺めることもできまい。③④は完全に「已然形+ば(理由)」になっていることからも外れる。ただ、正解も「未然形+ば」にしては、選択肢の日本語がいまいち。

問2 ①
傍線部直前の「さまざま御消息聞こゆれども」とほぼ同じ展開が、2行前の「宮々よりも思し慰むべき御消息たびたびあれど、ただ今は夢を見たらんやうにのみ思されて過ぐしたまふ」というところで起きている。この段落には他にも「心細さ」など、打ちひしがれる様子が描かれている。③は勝手な想像になってしまう。⑤大切な相手というなら、女房階級というよりは直前の宮々の方であろう。

問3 ①
なお、②に関して、この部分の「思し残す」の解釈は少し難しい。現代文だと「思い残すことはない」と使い、これで未練がないことを意味するが、古文だと「思ひ残す」で「心がすり減らずにまだ残っている」ことである。だから、「思し残すことなきままに」は「心が擦り減らずに残りなさっていることもない」=「心がすっかり擦り減りなさる」である。古語の「尽くす」(心を擦り減らして無くなってしまう)をこの機会に覚えておこう。③の「それでもやはり」を生むのは「さすがに」「なほ」であろう。④「よろづにつけて」はそのまま下につながっており、今、どんなことについても亡き妻を恋しく思い出すという話で、絵に限定する理由はない。⑤「思ひ出でさせたまふ」はふつうに二重敬語。

問4⑤ (イの直後が根拠)
①1行目で大北の方もひっくり返って悲しんでいる。②3~4行目であるが、亡骸というよりは牛車を直視できない感じ。③7行目「夢を見たらんやうに」(たら存続、ん婉曲)=「夢を見ているような感じで」であり、現実だと実感の湧かない、信じたくない悪夢を見ているような心境なのである。④「浮きて見ゆらん」と現在推量「らむ」が付いているので、相手の状況を想像しているところ。

問5 ③・⑥
①「ありきたり」「安易」「誠意のなさ」など言い過ぎ。②「誰もみな止まるべきにはあらねども」と「已+ども」逆接で受けており、この後ろで反論をしており、「あえて肯定」しているとは言えまい。④同じ言葉で感謝というなら、Yの「慰む」もXと同じ言葉である。⑤「慰むる方しなければ」は「慰める方法もないので」であり、人ではない。返事をしている段階で、閉じ籠ってはいない。

 

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