本文の引用箇所:桂の院つくりそへ給ふものから――
出典:草縁集(天野政徳(あまの まさのり)編)
成立年    文政二年(1819)自序、同三年(1820)刊

 

 

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現代語訳(口語訳)


 桂の院を建て増ししなさるけれど、少しの間も足を運びなさらなかったのだが、後から降る雪を待っているように残る「友待つ雪」に誘われて、急に思い立ちなさるようだ。こうしたお出かけには、源少将・藤式部を初めとして、今の世間の、風流事に堪能と評判になる若者達を皆、必ず連れなさっていたが、にわかに思いついたことだったので、こう出かけるということさえ、ほのめかしなさらず、「ただ、親しい家の従者を四人、五人連れて」とお決めになる。
 すぐに牛車を引っ張り出しているときに、「空より花の」と(古今和歌集の和歌を引用して)面白がっていたのだが、愛でているうちに、いつの間に早くも、と(といった様子で、降る雪が)散り失せたのは、こうして(降雪が)終わってしまうと言うことであろうか。「そうであるのは、ひどいく見劣りがするだろう」と、人々は大変嫌がるのを、「本当に張り合いがなく、残念だ」とお思いになるけれど、「そうだからといって、(今さら屋敷に)引き返すようなのも、人目が悪いようだ。やはり、法輪寺の八講の法会にかこつけて」という考えになりなさって、ひたすらに、急ぎ(急がせ)なさるとき、またも真っ暗闇に辺りが曇って、以前よりも(雪が)散り乱れたので、道のほとりに牛車を立てさせながらご覧になると、何がしの山やくわがしの河原も、ただほんのちょっとの間に見た目が変わっている。
 例のいやいやであった人たちも、とても大変嬉しく笑って、「これは小倉の峰であろうか」「それは梅津の渡りであろう」と、口々に定め合っているのだが、松と竹の区別でさえ、間違えて、きっと違うはずのようだ。「あぁ、世の中に『おもしろい(風流だ)』とはこういうのを言うのであろうよ。やはりここで見て賞美しよう」と言って、そのまま下簾をかかげなさりながら、
  ここもまた月の中にある里であるらしい、雪の光が世間に似ていないんだなぁ。
などと面白がりなさるとき、見た目が好ましい童で水干を着ている童が、手を吹きながら後ろを追ってきて、(牛車の)榻のところにうずくまって、「これを牛車に」と差し出したのは、源少将からのお手紙であった。大夫が取って受け渡して差し出すのを、(主人公が)ご覧になると、(手紙に)「いつも置いていきなさらないのに、こうして(置いていくなんて)
白雪が降る、の「ふる」ではないが、振り捨てられた(私の)辺りでは、(白雪よりもむしろ)恨みばかりが千重に積もっている」
と(歌が)あるのを、(主人公は)微笑みなさって、畳紙に、
「(私を)探し、訪ねて来るだろうか、と雪の中を行き、(雪に)跡をつけながらも(あなたを)待っているとはあなたは知らなかったのだろうか」
すぐにそこにある松を雪のまま折らせなさって、その枝に結び付けてお与えになった。
 だんだん暮れてくる内に、それほど雲や霧で一面曇っていたのも、気付けば名残なくすっかり晴れ渡って、(桂という月ゆかりの)名を背負う里の月の光は、はなやかに差し出したので、雪の光もいっそう映えて輝きを増しつつ、天地の限り、銀をたたき延ばしているように一面輝いて、むやみにまぶしい夜の様子である。
 院の管理役も出てきて、「こんな風にお越しになるとも、知らなかったので、早くに迎えに出申し上げなかったこと」などと言いながら、頭も持ち上げないで、何もかもこび従うあまりに、牛の額の雪をかき払うと言っては、(牛車の)軛に触れて烏帽子を落とし、牛車が進むための道をきれいにするといっては、もったいない雪をも踏み回り、足や手の色を海老のように赤くして、桂の木の間を吹き抜ける風のもと、風邪を引きながら歩いて回る。人々は、「今は早く中に引っ張り入れてくれよ。あちらの様子もとても見たいので」と言って、一斉にそわそわしているのを、(主人公は)「確かに」と思いなさるけれど、ここもなお見過ごすことができなくて。

 

解答速報
 

問1 ア ③ イ ② ウ ⑤
問2 ②
問3 ④
問4 ⅰ ② ⅱ ② ⅲ ③