受験生の皆さん、センター試験の問題にチャレンジした高校生の皆さん、お疲れ様でした! 

こちらのサイトでは、大学受験塾の国語講師・吉田裕子が個人的に作成した2019年センター試験漢文の書き下し文・現代語訳(現代日本語訳)の速報版を公開しています。

復習などにお役立てくださいませ。

(なお、センター試験古文2019年現代語訳はこちら
 

2019年センター試験国語(漢文)の現代語訳

【リード文】
次の文章は、唐代の詩人杜甫が、叔母の死を悼んだ文章である。杜甫は幼少期に、この叔母に育ててもらっていた。

【本文】
嗚呼哀哉。兄の子有り甫と曰ふ……

【現代語訳】

ああ悲しいなぁ。(故人の)兄の子がいて、杜甫というが、その者が、ここに喪に服し、ここに故人の徳を記し、石に墓誌を刻む。
ある人が言うには、
「(杜甫は)あの孝童さんの甥ですよね。(子ではなく甥なのに)どうしてこのように(おばに対してそれほど)親孝行に励んでいるのか」
と。杜甫は泣きながら答えて言うには、
「(特別に親孝行だとは)とんでもないことです。(私は普通の子どもと)同様に親の恩に報いるのです。私(杜甫)は昔、おばさんのところで病気により寝込んでしまい、さらにおばさんの子どもも病気になっていた。女祈祷師に尋ねると、彼女が言うには、『柱の東南の隅にいる者は幸運になります』と。おばさんはとうとう子どもの場所を変え、それで私が良い運命になるようにした。私はこれのおかげで生き延び、それで、おばの子は死んでしまった。後になってこのことを小間使いから聞いた。私はかつて人にこの話をしたことがある。聞いた相手は涙を今にも流そうとし、感じ入った状態のまま長く時間が経った。その人と一緒に諡を決め、諡は『義』と言う」

と。
君子(=有徳の人物、杜甫か? 前段で話していた相手か?)が考えることには、魯の国の義姑(=『列女伝』に登場する女性)は、郊外で暴徒に遭遇し、その連れている人(=兄の子)を抱き、その抱いている人(=実の子)を棄て、それで(兄の子を優先し、公の忠義を優先して)個人的な情愛の方を断ち切った、と。おばはまさにこれである。
こういうわけで、この一つの例を挙げ、故人のあらゆる善行を明らかに示す。銘文を綴って、(ただし通常の墓誌銘のような)詩としての韻を踏まないものである。思うに、感情が極まれば文飾の余裕はないのである。その墓誌銘に言うには、
「ああ、(魯の国の義姑と並び立つ)唐の義姑、京兆(=都)の杜氏の墓」。

【書き下し文】
嗚呼哀しいかな。兄の子有り甫と云ふ、服を斯に制し、徳を斯に紀(しる)し、石に斯に刻む。或(あるひと)曰く、「豈に孝童の猶子なるか、奚(なん)ぞ孝義の勤むること此くのごとき」と。甫泣きて対へて曰く、「敢へて是れに当たるに非ざるなり、亦た報ゆるを為すなり。甫昔病に我が諸姑に臥し、姑の子又病む。女巫に問へば、巫曰はく、『楹の東南隅に処(を)る者は吉なり』と。姑遂に子の地を易へ、以て我を安んず。吾是れを用て存し、而して姑の子卒(しゆつ)す。後に乃ち之を走使より知る。甫嘗て人に説くこと有り、客将に涕を出ださんとし、感ずる者(こと)之を久しくし、相ひ与(とも)に諡(おくりな)を定め義を曰ふ」と。
君子(くんし)以為(おも)へらく魯の義姑なる者は、暴客に郊に遇ひ、其の携へる所を抱き、其の抱く所を棄て、以て私愛を割(た)つと。県君焉(これ)有り。
是(ここ)を以て兹(こ)の一隅を挙げ、彼の百行を昭(あきら)かにす。銘して韻せず、蓋し情至れば文無し。其の詞(ことば)に曰く、
「嗚呼、有唐の義姑、京兆杜氏の墓」。

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