2月25日は、国公立大学の前期試験です。東京大学の一日目の国語、第二問では、文理共通の文章として『源氏物語』が出題されました。(久しぶり!)


取り急ぎ、現代語訳(現代日本語訳)を作成しましたので、受験生・同日模試を受けた高2生の振り返りに少しでもお役に立てば、と思い、ここに公開いたします。

 

入試に付してあったリード文

次の文章は、『源氏物語』真木柱巻の一節である。玉鬘は、光源氏(大殿)のかつての愛人であった亡き夕顔と内大臣の娘だが、両親と別れて筑紫国で育った。玉鬘は、光源氏の娘として引き取られ多くの貴公子達の求婚を受けるかたわら、光源氏にも思慕の情を寄せられ困惑する。しかし意外にも、求婚者の中でも無粋な髭黒大将の妻となって、その邸に引き取られてしまった。以下は、光源氏が結婚後の玉鬘に手紙を贈る場面である。

 

二月にもなった。光源氏は、
「それにしても、(髭黒が玉鬘を自邸に引き取ったのは)無情な仕打ちであるなぁ。とてもこれほどまでにきっぱりと(連れていかれれるだろう)とはまさか思わないで、油断させられた気に食わなさよ」
(と思い)体裁も悪く感じ、(玉鬘のことが)全く気にかからないというときもなく、恋しく思い出しなさらずにはいられない。前世からの宿命などということはいい加減ではないことだけれど、自分の持て余すほどの思いから、このように、誰のせいでもなく自分のせいで悩むのであるよ、と(悩んでいると)寝ても覚めても玉鬘の面影が浮かびなさる。

 

(玉鬘が)髭黒大将という、風流さも愛想もない人と一緒にいるような状況では、(光源氏も)ちょっとした戯れ言を送ることも遠慮され、つまらなくお思いにならずにはいられず、(玉鬘への連絡を)こらえていらっしゃるが、雨のひどく降ってとてものんびりとしたとき、このような手持ち無沙汰の紛らわしに、玉鬘のところに行きなさって、語り合いなさったことなどが、大変恋しく思われたので、玉鬘にお手紙を差し上げなさる。右近のもとにこっそりと手紙を送りなさるのも、一方では、(右近が手紙を見て)思うようなことを想像しなさると、何事も(詳しくは)書き続けることがおできにならず、ただにおわせた文面などをお書きになった。

 

「雨に降りこめられてのんびり過ごすときの春雨に、旧居の人間(=自分(光源氏))をどのように思い出しますか
手持ち無沙汰に伴い、恨めしく思い出さずにはいられないことが多くありますのを、どのように申し上げることができるでしょうか、いや申し上げられません」
などと書いている。

 

(右近は)ちょっとした隙にこっそりお見せ申し上げると、(玉鬘は)涙ぐんで、自分の心としても、時間が経てば経つほど思い出しなさらずにはいられない光源氏のご様子であるが、(光源氏は)堂々と、「恋しい、何とかしてお会いしたい」などとはおっしゃることのできない親なので、「本当に、どうして対面の機会もあるだろうか、いやない」と思うとしみじみ悲しい。


時々面倒であった光源氏のご様子(=光源氏が男女の仲のように関わろうとしてきたこと)を気に食わなく思い申し上げたことなどは、右近にも知らせていないことなので、(玉鬘は)自分の内心一つに悩み続けなさるけれど、右近は少し様子を察していた。「(光源氏と玉鬘との関係は)どのようであったことだろうか」とは今なお納得しがたく思っていた。

 

玉鬘からのお返事は、「お返事を差し上げるのも気が引けるけれど、しないでいられようか」と考えてお書きになる。


「長雨の降る軒の雫に袖を濡らすように、物思いにふける私は涙を流し、どうして少しの間でもあなた様のことを思わずにいられましょうか
時がたつと、確かに、ことさらの手持ち無沙汰も募るようです。あなかしこ」
と、あえて特にうやうやしく書きなさった。

 

光源氏は(玉鬘からの)手紙を広げ、まるで雨の水滴がこぼれるように涙が出てくると思わずにはいらっしゃれないが、「(この様子を)他人が見たら、体裁の悪いことであるにちがいない」と平然とふるまいなさるが、胸がいっぱいになる感じがして、あの昔の、朧月夜の君を、朱雀院の母后である弘徽殿大后が強引に光源氏に逢えないよう閉じ込めなさったときのことなどを思い出しなされるけれど、今まさに起きていることであるからだろうか、(玉鬘のことは)並々でないと思われ、しみじみ切ないのであった。

 

「色好みの人間は、自分の心ゆえに、落ち着くことのままならないことなのであった。今は何によって心を乱すだろうか。(玉鬘は)似つかわしくない恋の相手であるよ」
と平静になりかねて、琴を掻き鳴らし、心惹かれるさまでお弾きこなしなさった(玉鬘の)爪音を思い出しなされずにはいられない。


手もとに学術書などのない状態で作成した速報版のため、誤りなどにお気付きの場合はご指摘いただけたら幸いです。