あるタイプの生徒を見ると、いつも「もったいないな〜」と思っています。

 
せっかく授業を受けているのに、授業で示される解き方や考え方をほとんど採り入れようとせず、我流でやろうとし続ける子です。
 
こちらは、自分自身の経験と、一定以上の指導経験から、「こうした方が良い」と思って、アドバイスをしているのに……。「他人に従ったら負けだ」と言わんばかりに、自分なりの方法を採り続けるのです。それで、間違ったり、他の子よりも時間がかかったりしてしまっているのです。
 
私が教えているのは高校生なので、それなりのオトナ、独立した一人格です。だから、その行動が本人の判断なのであれば、尊重しようと思っています。「私はこうした方が良いと思うけれど、あなたがそうしたいなら、そうしたら?」という姿勢で接しつつ、内心、「もったいないなぁ」と思っています。
 
そして、こうも思うのです。
 
「何を恐れているのかしら?
 その程度、ワクにはまったとしても、
 あなたの個性はなくならいないのに。
 たかが受験の一教科、私の言う通りにしたところで、
 私に洗脳されるわけではないし、
 大学に入って本当にしたいことをするためには、
 ここは従ってしまった方がラクなのにな。
 それにそもそも、ワクに従ったって、
 結果として、あなたの個性はにじみ出るものなのに」
 
そうなんです。
 
例えば、小論文。クラス全員に、こちらの提示する型に従って書いてもらうことがあります。型に従うと、皆が破綻せず、書き上げることができるからです。(初期段階で、「はーい、自由に書いて」と投げると、書き上がらない子や、書き上がったものの、自分でも何を書いているのか分からなくなってしまった子などが出てきてしまうので……)
 
面白いのが、それであっても、一人ひとりは全く違った答案を書いてくることです。着眼点や具体例、結論は人それぞれだからです。型を守っても、その子の個性は出ます
 
そして、破綻なく書き上がるという経験をし、手ごたえを得た後、だんだん自由度を上げていくと、もっともっと個性が発揮されるようになります。それも、他人にきちんと想いの伝わる形で。
 
だから、恐れることなんてないと思うんです。習ったことに従う、ということを。
 
まずは素直に、虚心坦懐に、やってみればいいのにな、と思うのです。
 
 
 
さて、普段そんな風に感じているので、天狼院書店のライティング・ゼミに参加し、自分が生徒側になったときも、素直にやるということを心がけました。
 
そこは、講師の三浦さんからも、釘も刺されていました。「自分はそれなりに書けると思っている人は、習った通りにやらないことが多い。それでは伸びない」と。
 
だから、習った通りにやることを意識しました。(実は、講師の三浦さんや、スタッフの川代さんの記事の書き方を真似てみた回もあります。)
 
そうして4ヶ月が経ちました。
 
ほぼ毎週、課題を出し続けた中で、講座受講期間の終わりに書いた文章が、有難いことに、店主セレクト記事(講師推薦記事)になりました。
 
書いているうちに筆が乗ってきて、あっという間に5,000字近くに膨らんだ、お気に入りの文章です。そんな、自分自身が気に入る文章が書けたことだけでも嬉しかったのに、それが認めてもらえて、とても手応えを感じました。
 
習った手法を習った通りに、使った文章です。でも、きっと、私らしさも溢れているのではないかと思います。
 
どうぞ、読んでいただけたら嬉しいです。
 
 
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