教職課程のレポートで、ペスタロッチー関係の本を読みました
ペスタロッチーは、フランス革命後の混乱期、スイスでさまざまな教育実践をおこなった人です。日本の学校教育黎明期に摂取されたこともあって、今日にいたるまで日本の教育に大きな影響を与え続けています。
その実践の中には、厳しい現実の前に失敗に終わったものもあります。その点により、「星に気をとられて足元の穴に落ち込む男」などと批判されてしまうこともありました
あるいは、ペスタロッチーは過去の研究にあまり学ばなかったという面もあり、「既にわかりきっていたことを、さも自分が発見したように語る」という批判をする人もいます。

ペスタロッチーは、フランス革命後の混乱期、スイスでさまざまな教育実践をおこなった人です。日本の学校教育黎明期に摂取されたこともあって、今日にいたるまで日本の教育に大きな影響を与え続けています。
その実践の中には、厳しい現実の前に失敗に終わったものもあります。その点により、「星に気をとられて足元の穴に落ち込む男」などと批判されてしまうこともありました

あるいは、ペスタロッチーは過去の研究にあまり学ばなかったという面もあり、「既にわかりきっていたことを、さも自分が発見したように語る」という批判をする人もいます。
ただ、そんなペスタロッチーについて、福村政雄さんはこんな風に言います。
「世の中には何の非難の打ちどころもないが、しかし何となく食い足らぬと感ぜられる人物がある。『沈香も焚かず屁もひらぬ』という種類の人はその適例である。しかるにペスタロッチはその反対である。屁もひるが、沈香も焚く。」
「ペスタロッチは、プラトンやルソーのごとくに思想の世界から教育の世界へと降り来ってこれを論じた人ではなく、教育体験の世界から進んで思想の深淵へ身を投じた人である。(中略) 彼には彼の独特の体験に裏付けられた思想を、彼特有の言語を用いて表現しようとする不断の努力があった。」
◆ペスタロッチーは、子どもたちと苦労を分かち、寝食を共にし、仕事も祈りも共にした。それがペスタロッチーの愛であった。そして、それに応じて、頑なな、冷たく閉ざされた、歪められた子どもたちが愛に目覚め、進んで人を愛することができるようになった。ペスタロッチーは、のちにそれを「応える愛」と呼んだ。愛が「応える愛」を呼び覚ますのである。
こんなふうに教育実践に励む姿が、日本の教師像に影響を与えていると思います。「金八先生」「ヤンキー先生」にもつながるものでしょうね

◆人間は、その存在の形而上学的性格に関しては、いわば神と動物との永遠の「中間者」「中間状態」として自覚されなければならない。これがペスタロッチーの人間観なのである。
ここで、動物は「本能のままに生きる」という状態をあらわす例として出されています。人間は決して神のように万能な存在ではないけれど、ただ本能のままに行動する動物とは違って、理想の状態を目指して向上することはできるわけです。
◆「友よ、人間は善であり、善さを願っている」
◆「純真」というのは、ペスタロッチーにとって、人間の始源の極限の状態と同時に、成熟の極限の状態をさす、いわば極限概念ともいってよいものである。
◆「純真」というのは、ペスタロッチーにとって、人間の始源の極限の状態と同時に、成熟の極限の状態をさす、いわば極限概念ともいってよいものである。
「純真」というと、我々がまずイメージするのは無邪気な子どもです。ペスタロッチーも、「純真」というのは、生まれながらの子どもが持っている理想的な状態であるといっています。
ルソーなどは、「『純真』な状態は、社会の文化に染まるにつれて汚されてしまう」という側面を強調していました。一方、ペスタロッチーは、「純真」を、人間が学ぶことを通して、改めて目指していく理想的状態でもあると考えているのです。
こうした彼の人間観や教育観は、彼の展開した直観教授とならんで、重要なものだと思います。
*身近な自然現象・社会事象にそくして観察や調査を行い、その構造・機能・法則などを学ばせる教育法。ペスタロッチーは、「汝の知識を汝の本質の欲求よりせまく限れ」などの言葉を残しています。
いずれも、自分が「教える」という仕事に携わる中で、胸に留めておきたい考え方です。
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