突然起きる悲しい出来事も辛いけれど、微かな悪い予感に始まり、ゆっくり時間をかけて結論が示されることも辛い。


防御策として無痛覚になることも出来る。あえて仕事に忙殺されてみたり、痛みの原因となる人の悪口を言ってみたりして。

だけど、正面から受け止めなかった痛みは、かえって長く引き摺ることもある。


数年前の秋、ある悲しい予兆に対して無痛覚になろうとしていた自分を、あえて食い止め、感情を動かすことに努めた時期があった。いわゆる「泣ける」作品をはじめとして、たくさんの映画や小説に触れた。


青山七恵さんの芥川賞受賞作『ひとり日和』を手にとったのも、その時だった。

その時期に読んだ他の小説はほとんど覚えていないのだけど、『ひとり日和』は、自分とゆかりのある地域を舞台としていたからか、今も鮮明に覚えている。






その青山七恵さんの名を、日曜日の日経新聞で見掛けた。

彼女が綴っていたのは、「泣く」ということをテーマとしたコラムだった。

自分がたくさん泣いていた頃に出会った青山さんが、「泣く」ことについて語っていることが、勝手に感慨深くて、一気に読んだ。






小学生だった頃、授業中に突然涙を流した女教師がいた、という思い出から始まるエッセーだった。

それは、国語の授業中。確かに、悲しい話を読んでいるときだったのだけど、それゆえに泣いているとは思えなかった。

先生のこれまでの人生に、この話に重ね合わせるような辛い出来事があったのか。あるいは、今朝、なにか痛切な出来事があったのか。

その原因はついぞ分からなかったけれど、その理由をあれこれ想像したことは、小学生の児童の前で大の大人である先生が泣いたという事実のインパクトと共に、青山さんの胸に刻まれたようだ。






青山さんは、そのエッセーをこんな風に締めくくっていた。


大人にも、つい涙を流してしまうほどの重い悲しみや苦しみがある。一人ひとりがそうした、他の人には分かり得ない深い事情を抱えているのだ。そうしたことを早いうちに分かることができて良かった。






そういえば、あの秋の悲しい予兆が現実のものとなったとき、私は驚くほど泣いた。


あらかた一週間くらいだったと思うけれど、まさか二十代になってあんなに泣くことがあろうとは、というくらいに泣きじゃくった。

映画や小説で、数ヶ月にわたって涙腺のトレーニングをしてきただけのことはある。泣きながらそんなことを思っていたのが、我ながらおかしかった。


そうして、ひとしきり泣いてしまった後、私は、またも驚く程にあっさりと、前を向いた。そして、二度と振り返ることなく、すたすたと歩み始めた。


「泣く」ということを媒介にして、自分のもろさとたくましさを思い知らされた、そんな秋冬の出来事だった。