ブログと日記の違いの1つに、

読者がいるか、いないか

ということがあると思いますひらめき電球


(もちろん、誰にも読まれていないブログもあるわけですが…

 その場合でも、書いている人は多かれ少なかれ、
 読者の存在を意識しているでしょう。)



読む人のことを考え、
見やすく、分かりやすく、
書こうとするブロガーさんも多いはずです。


私も、そうなんですが、
読みやすさなどを強く意識して書いていると、時々、


これは果たして「自分の言葉」なんだろうか…?

自分が書きたくて、書くのが楽しくて、
ブログを始めたのではなかったっけ…?



という疑問に囚われることがあります。


私の、そんなモヤモヤに関して、
1つの考えるヒントになりそうな文章に出会ったので、
ご紹介したいと思います。





論力の時代―言葉の魅力の社会学 (シリーズ言葉と社会)/勁草書房



「自分の言葉」は「自分だけの言葉」とは違う。自分勝手な、独りよがりの言葉ではない。

「ああ、あの人は自分で考えているな。自分の中で決着を付けて、それで言葉を発しているな。」と周りが察知できるような言葉。

それが「自分の言葉」であることによって、それを聞いた他者に、その人自身の「自分の言葉」を思い出させてくれるような言葉。

その意味で、深い社会性をもつ言葉である。

言葉の発音や抑揚や表情、色合い、響き、感触、味わい、匂い、そのすべてを含めて、その人の独自の存在を喚起し、それによって聴き手や読み手も自分自身の独自の存在に改めて思い至るような言葉。

人はそういう言葉に出会うと、そのメッセージ内容のよしあしとは別の次元で、「自分の言葉で話している/書いている」と評価するのである。






「自分の言葉」というものは、
必ずしも、独りよがりの言葉を意味するものではないのですね。

「自分で考えている」
「自分の中で決着を付けて、言葉を発している」

言うなれば、人が、

「自分独自の存在を賭けて発する言葉」

なのでしょう。


2013年、私は、ブログでも授業でも、
「自分の言葉」で語っていきたいと考えています。



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