キリスト教に「回心」という言葉があります。
それまでの罪や不信の態度を悔い改めて、
キリスト教の信仰に入ることを指す言葉です。
※回心(wikipedia)
※パウロの回心をテーマにした絵画(カラヴァッジョ)

不信から信仰へ。
180度違う態度に変わったことを、
回という字がよく表していますよね!^^
さて。
皆さんは、「回心」と表現したくなるような、
大きな心境の変化を経験したことはありますか?
…わたしは、あります
社会人1~2年目の2年間が、
わたしにとって「回心」と呼ぶべき、
大きな転機でした。
かつてのわたしは、自信過剰な人間で、
自分は誰よりもデキると思っていて、
他人を見下すようなところが多々ありました(^^;;
本当に調子に乗っていて嫌なヤツでした
(笑)
そんなわたしを変えてくれたのが、
新入社員研修や1年目・2年目の仕事でした。
尊敬できる同期との出会いや、
未経験の領域への異動による戸惑いなどを経験して、
ちょっぴり自分個人への信頼を失い、
その分、周囲の人々の有り難さや素晴らしさに
気付いたり感謝したりできるようになったんです
お恥ずかしい話ですが、
恋愛以外で、自分以外の人に対して、
好きだとか尊敬だとかって気持ちを
純粋に持てるようになったのもこの頃です…(笑)
(それまでは、負けを認めるのが悔しくて、
素直に「すごい」とは認められませんでした(^^;)
すごいと感じた人のアラを何とか探そうとしていました(苦笑))
自分個人への自信というものは挫かれたのですが、
「自分は素敵な友人や仲間に囲まれていて、
彼らの力を借りながら
素晴らしいことをやっていけそうだ」
という、大きな意味での自信を手に入れた感じです。
わたしにとって大切なターニングポイントでした。
・・・にしても。
なぜ突然こんなことを語りだしたのか って感じですよね?
カント入門 (ちくま新書)/石川 文康

先日、慶應通信の「倫理学」の勉強の一環として、
この本を読んでいたときに、
カントの「回心」のエピソードが取り上げられていて、
それがすごく印象的で。
思わず、自分の「回心」についても色々考えた訳です。
カントの回心は、
ルソーの著作を読んだことを
キッカケに起こります。
知識に偏重していて、無学な人々を低く見ていたカントが、
人間と言うものを尊敬するようになり、
道徳というテーマに関心を持ち始めるのですね。
この回心のときの衝撃や感動を書き留めた本人のメモが残っています。
その”『美と崇高の感情に関する観察』への『覚書』”を紹介して、
今日のブログを締めたいと思います
「わたし自身は根っから一個の研究者である。
わたしは知識への激しい渇望と、
知識をいっそう拡大したいという飽くなき貪欲さと、
また知識を獲得するたびに満足を覚える。
これのみが人類の名誉となりうる、
と信じていた時期がかつてあった。
わたしは無知な賤民を軽蔑していた。
そんなわたしの誤りをルソーが正してくれた。
目をくらます優越感は消えうせ、
わたしは人間を尊敬することを学ぶ。
そしてもし、この考えが
他のすべての人々に価値を認めて、
人間性の権利を樹立しうるということを、
わたしが信じないようなことがあろうものなら、
わたしは自分を平凡な労働者よりも無用な者と見なすであろう。」
それまでの罪や不信の態度を悔い改めて、
キリスト教の信仰に入ることを指す言葉です。
※回心(wikipedia)
※パウロの回心をテーマにした絵画(カラヴァッジョ)

不信から信仰へ。
180度違う態度に変わったことを、
回という字がよく表していますよね!^^
さて。
皆さんは、「回心」と表現したくなるような、
大きな心境の変化を経験したことはありますか?
…わたしは、あります

社会人1~2年目の2年間が、
わたしにとって「回心」と呼ぶべき、
大きな転機でした。
かつてのわたしは、自信過剰な人間で、
自分は誰よりもデキると思っていて、
他人を見下すようなところが多々ありました(^^;;
本当に調子に乗っていて嫌なヤツでした
(笑)そんなわたしを変えてくれたのが、
新入社員研修や1年目・2年目の仕事でした。
尊敬できる同期との出会いや、
未経験の領域への異動による戸惑いなどを経験して、
ちょっぴり自分個人への信頼を失い、
その分、周囲の人々の有り難さや素晴らしさに
気付いたり感謝したりできるようになったんです

お恥ずかしい話ですが、
恋愛以外で、自分以外の人に対して、
好きだとか尊敬だとかって気持ちを
純粋に持てるようになったのもこの頃です…(笑)
(それまでは、負けを認めるのが悔しくて、
素直に「すごい」とは認められませんでした(^^;)
すごいと感じた人のアラを何とか探そうとしていました(苦笑))
自分個人への自信というものは挫かれたのですが、
「自分は素敵な友人や仲間に囲まれていて、
彼らの力を借りながら
素晴らしいことをやっていけそうだ」
という、大きな意味での自信を手に入れた感じです。
わたしにとって大切なターニングポイントでした。
・・・にしても。
なぜ突然こんなことを語りだしたのか って感じですよね?

カント入門 (ちくま新書)/石川 文康

先日、慶應通信の「倫理学」の勉強の一環として、
この本を読んでいたときに、
カントの「回心」のエピソードが取り上げられていて、
それがすごく印象的で。
思わず、自分の「回心」についても色々考えた訳です。
カントの回心は、
ルソーの著作を読んだことを
キッカケに起こります。
知識に偏重していて、無学な人々を低く見ていたカントが、
人間と言うものを尊敬するようになり、
道徳というテーマに関心を持ち始めるのですね。
この回心のときの衝撃や感動を書き留めた本人のメモが残っています。
その”『美と崇高の感情に関する観察』への『覚書』”を紹介して、
今日のブログを締めたいと思います

「わたし自身は根っから一個の研究者である。
わたしは知識への激しい渇望と、
知識をいっそう拡大したいという飽くなき貪欲さと、
また知識を獲得するたびに満足を覚える。
これのみが人類の名誉となりうる、
と信じていた時期がかつてあった。
わたしは無知な賤民を軽蔑していた。
そんなわたしの誤りをルソーが正してくれた。
目をくらます優越感は消えうせ、
わたしは人間を尊敬することを学ぶ。
そしてもし、この考えが
他のすべての人々に価値を認めて、
人間性の権利を樹立しうるということを、
わたしが信じないようなことがあろうものなら、
わたしは自分を平凡な労働者よりも無用な者と見なすであろう。」
(石川文康『カント入門』(ちくま新書、1995年、62頁))