個人のレベルでも
世界史のレベルでも
起こったときには偶然起こったようにしか見えなかった事が、
後から、さも必然であったかのように意味付けられていく
ことが
多いなぁと感じています。




私にしても、
会社の本部部署から、今の高等部に異動したのは、
たまたま高等部の前任者が産休・育児休暇に入ったからだったんですが、、、


「大きな会社の本部で個々の職員・生徒という視点を見失いかけた矢先の異動で、
まず生身の生徒に触れて個に対峙する教師の感覚を取り戻し、
仲間のいない心細さを十二分に思い知ったところから、
個々の講師仲間と関係を築き上げて行く術を学び、
そのチームワークを教室、次に高等部全体へ広げていこうとしている」


…という感じで、私の人生の成長ストーリーを描く上で、
異動は、必然だったかのように取り込まれています。





凶悪犯罪や芸能人のスキャンダルなど
普通に見たら、バラバラで、偶発的に見える事件も、
時代の産物のように意味付けられますよね。


そういう風に、ストーリーづけて理解したい欲求が、
人間にきっとあるんだと思います。





小さなところで言えば、
電話番号などのランダムな数字の羅列から
語呂合わせを考えることもそうですよね。


語呂合わせは、楽しく&効果的に記憶するために、
役に立っていると思いますが、
それと同じ様に、偶発的事件をストーリーづけて理解することは、
人々が積極的に生き抜いていく助けとなっているのかもしれません。