ほぼ日刊イトイ新聞 が好きデス♪


毎日たくさん更新されるので、

全てを追うことはできずにいます(^^;;

ですが、幾つか愛読しているコンテンツがあります(*^▽^*)

(ちなみに「ヨシダユウコ。」の「。」は糸井さんへのオマージュです。)


例えば、「おいしい店とのつきあい方。 」や、

おとなの小論文教室。 」は結構前から読み続けています。


そして、もう一つ、必ず毎週読むのが、

糸井重里が書くエッセイ、「ダーリンコラム 」です。

今週の月曜日に更新された記事 が、

なかなか印象深かったので、後半部分を引用しておきます↓↓

前半の内容も興味深いので、

ゼヒ読んでみてください(*゜▽゜)ノ



家庭内暴力であるとか、親の子どもに対する暴力だとか、
自分への暴力としての自殺だとかは、
「自分(家族・子ども)といういのち」が、
「自分の所有である」という誤解に
基づいてるのではないだろうか。
そんなふうに思えるのだ。
ぼく自身も、少年期も青年期も中年期も過ごしてきた
ひとりの人間だから、
一度も自殺を考えたことなんかない、とは言わない。
一度半くらいは、それを考えに入れたことがある。
そのときの気持ちを、いま思い出すと、
「自分というものを、自分が所有している」と、
ナマイキにも考えていたのだった。

ジグソーパズルの1ピースが、
「おれのいのちは、おれのものだ」と言って、
焼身自殺をしてしまったら、どうなるだろう?
他のジグソーたちは、ジグソーパズルであり続けることが
出来なくなってしまうのだ。

自分は、自分の所有物じゃない。
もちろん、家族も、恋人も、
所有物なんかじゃないのだ。
「あらゆるものが誰かの所有である」
という考えについては、
認めたふりをしてやってもいい(ふりだけど)。
しかし、
「あらゆる人間は、絶対に誰かの所有物ではない」。
所有者を名乗る者が、たとえ、自分であっても。