どうやら 何かの集合写真かと思われる感じだが
みなベルボトム着用
カラフルな色のワンピースやカラフルな花のプリントのワンピース
そう彼女たちはヒッピームーブメントまっただ中にいた
今も根強く生き続けるヒッピー達の思想
彼らの生き様は 自由であり、とてもシンプルでもある
『Hippie』
ヒッピーとは、伝統・制度などの既成の価値観に縛られた社会生活を否定することを信条とし、
また、自然への回帰を提唱する人々の総称。
1960年代 後半に、おもにアメリカ の若者の間で生まれたムーブメントで、のちに世界じゅうに広まった。
そののち、いったん衰えたように思われたが、1980年代 後半(大きくは1990年代 初期)に入って、1960年代 回帰の風潮とともに、再びヒッピー的な傾向を持った新しい世代の若者が現れるに至って、ネオ・ヒッピー やトラヴェラー などの呼称も生まれた。
1960年代 、アメリカ を中心に起こった反体制 ・自然 賛美派の若者 。
■誕生
1965年の夏、サンフランシスコの貧民街での黒人暴動がきっかけで誕生。
1950年代の終わり頃に流行した“現代的な若者”を意味する“ヒップスター”(hipstar)から転じて“ヒッピー”と呼ばれた。
やがてその動きは世界中に広まり、日本でもフーテン族などの若者文化が生まれた。
ちょっとわかりずらい・・・
フーテン族って 凄い名前ですな
彼らの標榜する自由な生き方は、紛争と武力誇示に明け暮れる世界情勢に対して、“愛と平和”をスローガンにした反戦運動ともつながっていく。
■fashion
長髪、ヒゲ、Tシャツや簡素なコットンシャツ、手作りのアクセサリーなどが特徴のアメリカ生まれのファッション。
単なる服装のスタイルではなく、愛や平和、自然への回帰をテーマにした主張あるファッションとして、他と一線を画している。
髪やヒゲをのばしっぱなしにし、ナチュラル素材のシャツに洗いざらしのジーンズ 、素足などのスタイルは、急速に全米の若者へ波及。
60、70年代の流行にも、大きな影響を与えた。
1967年、日本でも一大ブームを起こしたものの、伝わったのはヘアスタイルや服装などの外見のみ。
ヒッピーの根底にある思想に関心は集まらなかった。アメリカでは、1968年から前衛的な政治を支持するヒッピーを、「イッピー」を呼ぶようになった。
そして ネオヒッピーと呼ばれる今の時代を生きる若者ヒッピー達の傾向としては
元来のヒッピースタイルのような個性の強さはないが、自由への憧れ、自然への回帰といった思想性が再び高まっている傾向を反映ししている。
時代の背景も大きく違い、今や長髪やベルボトムジーンズ で世間は驚かないし、たんに反体制を声高に叫ぶことを好まない傾向にある。
当初のヒッピーよりもおだやかな表現で主張、自分も周りもリラックスできる環境への希求がファッションや食にあらわれている。
食ならスローフード、トレーサビリティの認識、洋服だと民族調スタイルやエスニック 、ボヘミアン なスタイルが再流行の兆しにあり、それを総じてネオヒッピーと呼ぶことが多いようだ。
■ヒッピー的思想、関連
自然主義。
一般に、超自然的なもの(理想・規範・超越者など)の独自性を認めず、
自然的なもの(物質・感覚・衝動・生命など)を基盤にして物事をとらえる。
②ニューエイジ
「新しい時代」であるが、新しい世界、新しい思想を含意する。
新しい世界がやってくるというもの。
基本的には、伝統的な教えの中から、古くて役に立たない教えを廃し、真の意味での教えを明らかにしようという運動である。
ニューエイジ運動は、60年代のカウンターカルチャー をその直接の起源とする。
物質的な思考のみでなく、超自然的・精神的な思想をもって既存の文明や科学、政治体制などに批判を加え、
それらから解放された、真に自由で人間的な生き方を模索しようとする運動である。
③Haight-Ashbury
http://maps.google.com/maps?q=Haight-Ashbury&hl=ja&lr=lang_ja&sa=N&ie=UTF-8&oe=UTF-8&tab=wl
1960年代のヒッピーの発祥地で今もその面影を色濃く残すヘイト・アシュベリー。
67年。この年はサマー・オブ・ラブと呼ばれ、ヒッピー・ムーブメントがピークに達した年として刻まれている
④サイケデリック
サイケデリックの名前は精神科医
のハンフリー・オズモンド
がpsycology+delicious(一説にはギリシャ
語のpsyche/精神+delos/出現)を組み合わせた造語に由来する。
LSD などのドラッグによってもたらされる、騒々しく、ぐるぐる渦巻く、極彩色のビジュアルイメージやペイズリー 模様などで特徴付けられる。
また、ヒンドゥー やインディアン 、様々なアジア のモチーフにも影響も受けていて、日本では横尾忠則 などの作品にも影響が見られる。
音楽的にはドアーズ などに代表される、独特の浮遊感と超現実的な音作りを基調としたロック・ムーブメントなどをさす。
中期のビートルズ もその影響を強く受けており、イエロー・サブマリン のアートワークやアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド 」「リボルバー 」収録の「トゥモロー・ネバー・ノウズ 」などにその傾向は色濃く見られる。
これらのカルチャー・ムーブメントは当時の若者 らに顕著に使用されるスタイルだった。
⑤ビートニク
「ビート 族」(ビート ・ジェネレーション )と呼ばれ,50年代カウンターカルチャー の最先端をいった若者 たちの文化。
ロックミュージックやヒッピーに代表される、反体制、脱規範のサブカルチャー文化
⑥ビートジェネレーション
管理社会に適応できない、即物的で表面的な現代社会に疑問を持つ、つまり、ビート世代に共感する若者たいは、いつの時代にも途切れることなく現れた。
ドラッグ、スピード、ジャズ、セックス、実存主義、東洋神秘主義、禅的瞑想。可能な限りの手段を結合させて、その精神的、肉体的リズムから、新しい次元の世界に、生きるに値する世界に到達しようとする試み。
⑦フラワームーブメント
LSDやマリファナなどのドラッグを摂取してもたらされる幻覚作用、それに伴う「意識の変革」を
あの極彩色のとぐろ系、インド神秘主義の基本柄ペイズリー、アジアの影響をも受けた模様などのペイントアートや、
独特の音像を持ったロックサウンドで助長させ、世の中をも変えていこうとしたヒッピー文化
⑧フラワーチャイルド
アメリカでいうヒッピー
⑨イージー・ライダー
簡単にまとめますと
コカイン の密輸で大金を得たワイアットとビリーがハーレーダビットソンでニューオーリンズを目指して旅に出る。
と気ままな旅を続ける2人。
山有り谷有り
⑩Woodstock Music and Art Festival
1969年
8月15日
(金)から17日
(日)までの3日間、アメリカ合衆国
ニューヨーク州
サリバン郡べセルで開かれた、ロック
を中心とした大規模な野外コンサート
。
30組以上のロックグループが出演し、入場者は40万人以上であった。
このロック・フェスティバル は、当初、同じサリバン郡ウッドストックで行われる予定だったためこの名があるが、周辺住民の反対運動のため適当な開催地が決まらず、近郊のべセルの個人農場主マックス・ヤスガ所有の農場 が会場となった。
犯罪やドラッグ などが共有されるという現実もあった。
⑪コミューン
中世ヨーロッパ
で、領主・国王から住民による自治を許されていた都市。
フランス
・イタリア
などで、市町村
にあたる地方行政
の最小区画。
小規模な共同社会を意味することもある。
⑫ゴア
サイケデリックトランス の素子であるゴアトランス の発祥の地。
⑬イビサ
イビサが世界で注目されるのは戦後、この島がヨーロッパのヒッピー 文化の中心となってからである。
やがて1980年代終わりに、この島で息づいていたバレアリック と呼ばれる独特の自由なダンス音楽スタイルとそのクラブシーンの享楽的な雰囲気を、当時英国で盛り上がっていたセカンド・サマー・オブ・ラブ 世代のDJ 達とプロモーターが発見したことにより、イビサ島は英国の若者たちのパーティー・アイランドとして爆発的な発展を遂げることになる。
⑭バイロン・ベイ
バイロンベイはオーストラリア最東端
2万年以上前よりArakwalと呼ばれる原住民達はバイロンベイには癒しのエネルギーがあると 癒しの聖地としてミーティングプレイスに利用されてました。
その当時、バイロンベイはCavvanbaとネーミングされており、その意味は“meeting place”だそうです。
Arakwalの人々は歴史の中で抑圧されて大分減ってしまい現在ではミーティングプレイスとして利用されていませんが、極少数の祖先の方々の支えもあってバイロンベイの自然は守られております。
70年代よりヒッピームーブメントが発生し 現在もなお9割方がヒッピーとも言われる町
⑮サンフランシスコ
アメリカ合衆国
西海岸の、カリフォルニア州
の北部に位置する都市
である。
1960年代におけるアメリカのヒッピー・ムーブメントはこのサンフランシスコで発生しており、
昔から自由で開放的な空気を持っている都市。
⑯アムステルダム
60年代、オランダの首都はヨーロッパのヒッピーの首都になり、ライツェ広場の南にあるホンデル公園はマジックセンターになった。オランダが以前から認めてきたリベラルなドラッグ政策と性のモラルのおおらかさに人々が洪水のように押し掛けて来た。
あまりに急激にピッピーの数が増えてしまい、ラブ・インやピッピー・セレモニーを行うための大きなコンサート会場を探さなければならなくなった。冬に向かい、1967年10月29日、ピッピーのグループは暖かくセレモニーを行える場所を求めてホンデル公園を後にした。
⑰カトマンズ
ここカトマンズは、昔ヒッピーの聖地として有名だった場所でもある。
ヒッピーの頃の聖地としては、他にバリ島のクタビーチ、インドのゴア、アフガニスタンのカブール、モロッコのマラケシュが有名。
今は、バックパッカーの名高い沈没地として有名。
そう、居心地が良すぎて、ついつい長居して動けなくなる魔の場所!
⑱カーブル
アフガニスタンの首都
60年代の終わり頃、インドのゴア、ネパールのカトマンズとならんで「ヒッピーの3大聖地」と呼ばれたことがあるそうだ。
彼らの大好きなハッシシーがかの地にはふんだんにあったことは当然としても、それだけどの町も彼らを歓迎する優しい土地だったのだろう。
⑲ホーボー
アメリカ で19世紀の終わりから20世紀初頭の世界的な不景気の時代、土地から土地へ働きながら渡り歩いた渡り鳥 労働者のこと。ホームレス のサブカルチャー の一員。
⑳ボヘミアン
ジプシーの別称。
自由できままな生活をする人。
21
バックパッカー
ヒッピーまたは大きなリュックサックを背負い旅する若者
22レイヴ
わめく、熱中するなどの意味
ダンスミュージックを流すイベント。屋外で演奏するのが主流である。
レイブの語源は、ロンドン のジャマイカ 系移民のスラング でパーティーを意味している。
クラブからはじまったパーティが、野外に飛び火し、自然と人間がダンスをとおして一体化すると同時に、ダンスをとおしたより深い自己確認、細胞レベルからの精神と肉体の合一をはかる儀式と化したといった説もある。
23セカンド・サマー・オブ・ラブ
80年代後半にイギリス で起きたダンス ・ミュージックのムーブメント。
その名称は60年代後半のヒッピー
・ムーブメント「サマー・オブ・ラブ
」に由来している(その再来という意味で「セカンド」と呼ばれた)。
ダニー・ランプリング 、ポール・オークンフィールド らイギリスのDJ がバカンスでイビザ島を訪れた際にそれをイギリスへと持ち帰り、世界的な流行の発端となった。
音楽のスタイルとしてはアシッド・ハウス と呼ばれるものが中心で、各地で大規模なレイブ (音楽) が開催された。
ドラッグ 文化と強く結びついていることから、かつてのヒッピー・ムーブメントになぞらえられた名称となった。
人里はなれた野外や廃屋や倉庫で開かれるDJたちと参加者による非商業的な手作りのレイブを中心としたシーンであった。
何千人もの若者が週末ごとに、口コミによって辺境のレイブ開催地へと集まり、知らない人間同士が抱き合い肩を組んで巨大なスピーカーから大音量で流れる無名のDJの掛ける未知の音楽に狂乱し踊り明かすという、以前のイギリスでは考えられないような生活スタイルを生み出した。
この動きはすぐにヨーロッパ大陸にも広がり、フランス やベルギー 、ドイツ などでも同種のレイブが開催されるようになった。
またセカンド・サマー・オブ・ラブ自身もそのブームに目をつけたプロモーターたちによって多額の入場料を取る商業目的のレイブが行われるようになる。
やがて当局の圧力もあり、合法的に当局の許可を得た会場で多額の入場料を取って行われる有名DJを迎えた商業目的のレイブが開催され主流となり、当初の精神を失っていき、上記のクリミナル・ジャスティス・ビルの施行時には、いわゆる「セカンド・サマー・オブ・ラブ」は既に下火となっていた。セカンド・サマー・オブ・ラブの担い手たちはその後商業化されたレイブへと向うか、もしくはアンダーグランドな精神を受け継いでクラブ 文化へと流れていく。
24LSD (薬物)
リゼルギン酸ジエチルアミド(Lysergic acid diethylamide)は一般にLSD(他にアシッド、LSD-25)と呼ばれている。
半合成の幻覚剤 である。
LSDの略称は、ドイツ語の「Lysergsäure-diethylamid」から来ている。一般的なLSDの一回使用量は100~500マイクログラムであるが、これはざっと砂粒の10分の1程度の量である。
LSDの効用は、摂取量だけでなく、摂取経験や、精神状態、周囲の環境により大きく変化する(セッティングと呼ばれる)。
一般にLSDは感覚や感情、記憶、時間が拡張、変化する体験を引き起こし、効能は摂取量や耐性によって、6時間から14時間ほど続く。
純粋な形態では透明な結晶であるが、液体の形で製造することも可能であり、これを様々なものに垂らして使うことができるため、形状は水溶液を染みこませた紙片、錠剤、カプセル、ゼラチン等様々である。
LSDは、無臭(人間の場合)、無色、無味で極めて微量で効果がある。政府らに把握されていない薬物を除けば、最も強力な薬物である。乱用すると、次々と躁鬱状態が繰り返し起こっていく 。
LSDは厳密な意味では幻覚を生み出さないが、その代わりに幻覚及び鮮やかな空想のような想像をもたらす。
大量服用した場合共感覚 的な感覚を引き起こすことができる。
日本では吸い取り紙のような紙にLSDをスポットしたペイパー・アシッド(paper acid)が有名。
そのため日本ではアシッド(Acid)が最も使われるが他にもエルなど様々な名称がある。
1960年代の「サイケデリック・レヴォリューション」の立役者はLSD(アシッド、エ
ル、ペーパー、ドット)を中心に摂取されたらしい
1938年にスイスのアルバート・ホフマンという薬学者がほとんど偶然に合成し、その後彼本人によって幻覚作用が確認された。
その後、精神病の治療薬として商品化され、主にアメリカでティモシー・リアリーやジョン・C・リリーなの多くの知識人を驚愕させ、アメリカ・インディアンが儀 礼に用いるサボテンやマッシュルームとの比較研究がなされたり、米軍やCIAが敵を無能にするため
の「兵器」として研究したりした。
その後、次第にLSDが濫用されるにしたがって精神錯乱に伴う事
故が多発し始めたため、1966年には製造が中止され世界各国で取締法が制定される。しかし、その後
もLSDは密造され、大流行し続ける。
ある一説では、LSDカルチャーは感情だけでなく何かの信頼につながっていたということ。
LSDをとっている人の中には、すべての組織や団体、政治、サラリーマン社会などに疲れきっていて、自分たちはそこにもっとよりよい関係や、世界を変換する空気を持ち込む、だから志が高く、開かれた雰囲気があって、考えを実行しやすい、というふうに言う人がいる。
LSDには「いまここ」にある現実から飛翔、あるいは離脱を誘うような作用があるとも言われている。
幻覚の特徴としては、瞳孔の拡大に伴う明度の上昇、形状の歪み、リアルな残像(光視現象)、質感や色の流動性が挙げられ、さらに「色が聞こえ」「音が見える」という共感覚が起こる。
インドのヒッピーたちは、LSDを用いて目の前にマンダラを描く「修行」を行い、さらにそのマンダラとの一体化を試みた。
25エクスタシー
脳内のセロトニン を過剰に放出することにより、人間の精神に多幸感、他者との共有感などの変化をもたらすとされる。経口的に摂取すると30分~1時間ほどで前述のような精神変容が起こり、それが4~6時間程度持続するとされる。
錠剤型麻薬としては他にも「X」、「E」、「アダム」など多数の俗称を持ち、また日本では、丸い錠剤が多いことから「玉(たま)」、また「X」から転じて「バツ」、「ペケ」の俗称をも持つ。
一般に錠剤型麻薬は違法に製造されるため、MDMA以外の薬物である可能性、また他の成分が混入されている可能性、有害な不純物が残留している可能性などが非常に高く、MDMAの効用を高めるために意図的に他の薬物を混入することも少なくない。したがって単体としてのMDMAの安全性と錠剤型麻薬の安全性は別個のものとして考えなければならない。
近年、錠剤型麻薬の押収量は増加の一途を辿っており、世界中で深刻な社会問題となっている。
1980年代後半ヨーロッパのレイヴ・カルチャー隆盛の背
後にはMDMA(エクスタシー、イー、エックス)の大流行がある。
MDMAは1912年にドイツの化学薬品会社によって開発されたとされており、商品化はされなかったが、LSDと同じように米軍が化学兵器として研究している。
その後、1960年代になってアメリカのアレキサンダー・シェルギンという学者が再び研究を始め、70年代にはサイコ・セラピーに用い られるようになったが、ストリート・ドラッグとして用いられ始めたのは80年代に入ってからだった。
そして1984年にMDMAは非合法化されたが、かつてのLSDと同じようにその後大流行する。
ただ、流行したのがアメリカよりヨーロッパだった点が異なる。
現在では、MDMAの多くが旧ソ連や東欧諸国で密造され、ドイツ、オランダ、イギリスへと流れていく。
例えば、1993年から4年間にイギリスの税関は1年あたり500kg(500万錠分)のMDMAを押収しているが、そこから逆算すると、1年間におよそ5億錠分がイギリスに持ち込まれたことになるのではないかとする計算もある。
エクスタシー・カルチャーは、もっと多くの人がそれを、野外のイベントとか、クラブとか、恋人の家とか、より一般社会に近い場所でとっている。
エクスタシーがダンス以外に生み出したものがあるとすれば、「これで人と話そう」とか、「これでなんとか現実に踏みとどまってちゃんとやっていこう」とかいうことだ」
MDMAには「いまここ」の現実をそのまま肯定するような作用があるということである。
確定的であるはずの眼前の現実のリアリティは失われ、流動的で「生命力のある」風景へ一転する。
その一方、ある程度の訓練をすれば、その流動的な風景を、言語的な喚起力を利用して「自分の思った通りの世界」へと導くこともできる。
MDMAには、いわゆる幻覚作用はほとんどない。
目の前のアンパンから仏陀が現れたりはしない。
よく言われるのは「圧倒的な開放感」とか「愛に満たされた世界」である。
「現実」が「現実」のままであるどころか、あるがままで「究極の現実」であると感じられ、それはそのまま「エクスタシー」になる。
すべてのものをあるがままで肯定的に見始めるため「もう一つの世界」は必要なくなり、したがっていわゆる「洗脳」には適さない。
そこに追加されるべきなのは、「いまここで生きている」という実感を盛り上げるための「自然の風景」や「自然のリズム」であり、それがレイヴを支 えているモチーフである。
ヨーロッパのレイヴが圧倒的にMDMAに偏っているのに対して、ゴアのパーティーで踊る人たちはLSDとMDMAを同時、
あるいは前後して服用することが多い。
目の前の現実は限りなく「現実」から遠くなり、それでいて現実は現実のまま「究極の現実」になる、という矛盾した状況を同時に体験することになる。
エクスタシーは「感情移入をもたらす」薬物とされており、使用者によれば、幸福感が高まり、他の人たちと交流したいという気持ちが強まるという。
しかし、セロトニンが尽きると鬱状態が始まる。認識力のほか、記憶力を含む思考作用、痛みに対する知覚、睡眠、食欲、すべてが影響を受ける。
26大麻
食用、薬用、繊維、製紙などの素材として用いられる有用な植物である。
マリファナを摂取するとその効果は数秒の内に始まり1時間から4時間持続する。
その効果が消失したあと、そこには二日酔いも禁断症状もないようだ。
マリファナは全ての人々に効果があるわけではない。
それを試みる多くの人は、全く少しの効果も経験しない場合があるという。
初心者のユーザーが過度の分量で不愉快な環境の場合、パニック反応が起こることがあります、しかし全ての効き目は数時間の内に安全に消え去る。
使用者はかなり正常に振る舞うので大麻使用の著しい外的証拠はほとんどないようだ。
マリファナは心配を軽減し使用者をリラックスさせ、そして同時に音や、味覚、触覚などの感覚器官の経験を強めるとされている。
これはしばしば突然活気づけられた食欲「マンチーズ」状態をもたらすらしい。
大麻は人々をより一層笑わせる傾向があり、しばしば彼等は長い会話に従事するのを好む。
人々は簡単には退屈を感じなくなる傾向があり、彼等の自己-価値の感覚は改善する。
時間の経験はわずかに歪められ、たとえばその影響下で運転する主な人々は自分自身のスピードを過大評価するのでより遅いスピードで運転そえうるようになる。
大麻は一時的に短期間の記憶に影響を与えるので、使用者は薬が効いているあいだ少し忘れっぽくなると言われている。
彼らはそれらの会話で何について話したかをいつも覚えているとはかぎりません。
記憶は効果が弱まると正常に戻ると言われる。
通常の使用ではそれは一般に幻覚と呼ばれるものを引き起こさない。
そこにないものを見たり聞いたりはしないようだ。
今もなおヒッピーだけでなく極一般の人達にも深く愛されているハーブ

























