世間一般に常識だと言われることが、僕には全く普通に見えない。
この間、とある商店街の古本屋に立ち寄ったときに、ある生物学者の本を読んだ。その本の著者は、ゲノムやクローンに対する自分の考え方を述べていた。「クローン技術が正しいかどうかを議論するのはナンセンスだ。人類は知り得た技術を使わないという選択肢は残されていないのだから。」
その意見の是非はここでは問わない事にする。私が気になったのは次の文章である。「人類の進化は観察から理解、操作へと移行していく。」この発言に関しては私の意見を述べていきたい。
私達は学問という物をどのようにとらえているのか。
医学であれば人を治すことがメインコンテンツである。人を治しますという事に普遍性は存在するのか。つまり医学は絶対的正義であるといえるのか。学会における発表のあり方はどうあるべきなのか。ロボットを作る、便利な道具を発明する。それは正しきことなのか。
基本的に人間は環境を観察することによって、様々な変数を知りえる。次に何か普遍性めいた、法則性めいた物を感じるようになる。それを解明すべく、理論や仮説を作り出す。そして、理解へと到達する。しかし、人間はそれだけでは飽き足らず、理論を操作する事によって更なる極みへと上っていこうとする。
現状の社会は何を操作しようとしているのだろう。インターネットによって何をコントロールしようとしているのか。ビジネスによって何を手に入れようとしているのか。車を使って何を知りたいと考えているのか。
私が思うに、昔から人々が求めるものは変わっていない。常に何かを求めている。その何かとは何か。それはネットを通じないと手に入れることが困難なのか。紀元前の人は不幸だったのか。一番不幸な事はなんなのか。その究極普遍な法則性を見つける事が今、必要とされている。
仮説としては
①生と死の法則性
②身体の無限性
③意識の変化の窮乏性
そのへんではなかろうか。
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