ユダヤ教徒が信仰している神の名はヤーヴェです。

ユダヤ教からキリスト教が生まれ、それが今日世界最大の宗教となったし、ナチズムによるユダヤ教迫害や、今日のパレスチナ問題とか、今日の宗教戦争や、場合によっては経済戦争にも関わってくるのが、このユダヤ教です。

それだけではなくここには今日の一神教的世界観というものが芽生えているのです。

ユダヤ教の成り立ちを適当に端折って話すと、もともとユダヤの民というのは「旧約聖書」にあるようにアブラハムが率いる小さな集団だった。その後、アブラハムの孫のヤコブのときにエルサレムに定住したとされています。

ところが飢饉が起こってヤコブの息子たちがエジプトに移動してしまった。このころのエジプトはヒクソスによって侵略されており、はじめはユダヤの民たちを手厚くうけいれたのですが、その後にヒクソスがエジプト人に追い出され、エジプト人が戻ってくると、こんどはユダヤ人たちを片っ端から奴隷にしてしまった。この時代がだいたい紀元前13世紀なのですが、このとき、モーセが生まれました。

ユダヤの一族が危機に晒されていたので、モーセはユダヤの人々のリーダーになって、ついにエジプトを脱出し、約束の地、「カナーン」へと向かった。

これを出エジプトといい、エジプト人に追い詰められたモーセたちが紅海にでて、さあどうしようかというときに海が急にパキーとわれて道ができ、モーセたちはが渡りきった後、元に戻ったのでエジプト人が海に飲まれるという、映画の有名なシーンにもあります。あれです。

その後、モーセたちはシナイ半島を40年もかけてさまよう。そしてついにヤーべ神に出会い、十戒を授かる。そして同時にヤーべとユダヤ人の間に「契約」が結ばれる。

どういう契約かというとユダヤ人に「イスラエル」という国を保証するという契約です。これが「約束の地」の保証です。この契約があったために、「イスラエル」は未だに民族と宗教をめぐる闘いの震源地になったわけなのです。

そしてモーセたちはそのまま密と乳の流れる地、カナーンをめざしてどんどん進軍していきます。が、モーセはとうとうたどりつてないまま死んでしまった。

しかしその後、ヤーべ神の信仰はしだに広まり、カナーンに12の部族が派生します。そのときに有名なダビデ王が登場し、12の部族をまとめあげ、歴史上初めての立憲君主国家をつくります。これが有名な十二氏族につながります。だいたい紀元前1000年くらいのことです。さらにダビデ王のあとにソロモン王が現れて、このころ最盛期を向かえます。

ところがソロモン王のあと、ユダヤ国は「ユダ」と「バビロニア」に南北にわかれてしまいました。そしてさらにアッシリアに滅ぼされてしまいました。

ユダヤの民ははやくも大きな危機を迎えます。北方のバビロニアでバール信仰という土俗的な宗教が入ってきて、これが初期のユダヤ教と混じってしまうのです。バール信仰は牝牛を信奉していて、人間をいけにえにするような過激な信仰であった。そのためユダヤの人々はまさにバール信仰を闇の信仰とみなして徹底的に禁圧していきます。

またエリアという預言者が出てきて、バール信仰に対抗するためもう一度モーセの十戒というのに立ち返ってヤーべを唯一の神様であるとする信仰を立て直そうとします。

ユダヤ教がモーセが砂漠からもちかえった唯一絶対神であるというものを主張し始めたのはこうしたバール信仰との対立があったからなんですね。

そのように信仰をまもるための編集はがんばっていたけれど、結局「イスラエル」バビロニアに支配されてしまいます。このような境遇の中で、ユダヤ人のあいだに「救世主思想」というものがめばえます。
救世主を待つ思想です。ここにイザヤや第二イザヤたちなどの預言者が現れ、やがて、「民族共同体イスラエル」というのを地上に実現するのです。

そのためにユダヤの第一の神であるヤーべを信仰していくのだ、というユダヤ教の成立様式が確立していきます。

その間も、イスラエルはバビロニア王国に支配されて、ユダヤ人たちがみんなバビロニアに支配されてしまうという「バビロニア捕囚」というじけんが起こったり、またのちにキリスト教が成立してくると、今度はローマ帝国の出先機関や、キリスト教徒からも弾圧をうけるようになって、ユダヤ人たちは離散の民になるということが起こります。

これを「ディアスポーラ」、離散の民といいます。今日のユダヤ人も、このような形をとっています。

しかし一方で、ユダヤ人たちは地下活動をして生きながらえ、エズラとネヘミヤという書記官によって、その活動が始めて文字になってのです。それがすなわち「モーセ五書」であり、だいたい六世紀ほどに完成します。「五書」というのだから、「創世記」「レビ記」「出エジプト記」「民数記」「申命記」のごぶからなります。

ただしそこには自らのユダヤ教を「善」とみなし、バール教など他の宗教を「悪」とみなす考え方があった。

このような考え方はユダヤのそのもののなかにもあり、それを取り巻く環境にもあった。この考え方が今日の宗教紛争の元凶となっているのだ。
紀元前七世紀から六世紀程に古代ペルシアのゾロアスターを祖として生まれたとされているゾロアスター教。


その基本思想は二分法(哲学用語でダイコトミーという)によってなされる。

つまり、万物を「善」と「悪」によって分類するというもの。

光と闇、天使と悪魔、天国と地獄。

よってソロアスターは様々な神話の神を「光」と「闇」によってわけ、それぞれを「光の一族」「闇の一族」としての系譜をつくり、人間の社会や世界を光と闇の関係で解こうとした。

もともとはインド・アーリア民族共通の自然崇拝だった「マズダ教」を元に創造したとされる。

イラン民族の国家であるアケメネス朝ペルシアや、パルティアでどのような位置を占めていたのかははっきりしないが、国家宗教に位置づけられるのはササン朝ペルシアの時代である。
ササン朝は、西はキリスト教国である東ローマ帝国と接し、東は仏教圏と接していた。
このような状況の中で、ゾロアスター教は国家統一の宗教としてササン朝で重要視されているのである。

この時代には教会組織も確立し、その首位聖職者はカスピ海南方のライに座を置き皇帝に次ぐ地位を与えられていた。

聖典「アヴェスター」の最後の編纂がなされたのもこの時代のことである。
しかし、やがてイスラム教徒のイラン侵入後、ゾロアスター教は急速に衰えていった。

なおゾロアスター教はイランが当時の東西交通路の中央部に位置していたことから、遠くの中国にも伝来している。中国では北魏の時代に伝えられ、隋・唐の時代に盛行を極めた。
中国では「祆教」と呼ばれ、各地に廟が建てられた。

ユダヤ教とキリスト教の関係には類似点が多く見られる。
天地創造を6期に分けるゾロアスター教と、6日にするユダヤ教との類似性、キリスト教のミサ曲に類似する曲があるのも特筆すべきところである。

宗教だけでなく、古代ギリシア数学者の「ピタゴラス」にも、彼の二分法の考え方が多く反映されていることから、ピタゴラスはゾロアスターに会ったのかもしれないといわれている。

ゾロアスターは一見、二神教のようだが、ある面では崇拝する神は「アフラ・マズダ」の一神だけであるから一神教であるとみなす考え方もあるし、アフラマズダ以下の善神と、アーリマン以下の悪神という見方もあり、その点では多神教といえるかもしれない。

また、経典「アヴェスター」はゾロアスター自身のものであるかどうかは疑わしいが、そこには最後の審判が描かれている。最後の審判はアフラマズダとアーリマンの最終決戦で、人々はアフラマズダにたいしてささやかな協力ができるというものである。

ゾロアスター教は、ペルシアが、東西交通路の要所であるため、他の宗教にあたえた影響は大きく、また、一神教、二神教、多神教の性格を有しているため、他宗教に寛容な性格をもっていた。

この独自の宗教的性格を持っていたイランの人々が、その後イスラーム教が入ってきても、他国と異なるシーア派を信仰した原因なのかもしれない。

また、ゾロアスターでは日本人にはなじみのない「鳥葬」を行う。死者は、沈黙の塔といわれる建物に安置され、その身体がハゲタカやカラスについばまれて空に舞い上がることで、天に帰るというものである。

かつて、日本の推理小説家の松本清朝が、「火の路」で、古代日本の斉明天皇が中国から伝わった祆教を信仰していたのではないかという大胆な推論を発表している。
ジャンポール・サルトル

二十世紀フランスの実存主義者、作家、レジスタンス運動で活躍したのだ、と繰り返し書きすぎたためにうそをついているのではないかと疑われる。もっとも有名な著作は「存在と無」。女性に人気。

アルベール・カミュ

二十世紀フランスの実存主義者でサルトルの友人。カミュは実存主義者の中でもただ一人自分が実存者主義者であることをあからさまに否定はしなかった人物。
「疎外」「アウトサイダー」「人間の存在の空虚さ」について多くの著作あり。自殺しないことは偉大なヒロイズムの行為だと考ええた。

マルティン・ハイデガー

二十世紀ドイツの哲学者。常に出世を狙っていた。1933年の悪名高い演説でヒトラーとナチズムを支持し、直後フライブルク大学の総長に任命される。本当にいやなやつ。の反面、かなり優れた哲学者でもあった。
もっとも有名な著作は「存在と時間」

イマヌエル・カント

十八世紀ドイツの哲学者。過去二百年間で最も影響力のある哲学者。形而上学、認識論、倫理学に重大な貢献をした。

ルネ・デカルト

十七世紀フランスの哲学者、科学者、数学者、傭兵。しばしば近代哲学者の父と称される。また、二元論の主要な立案者の一人でもあり、いまだ偉大な哲人の一人であるとみなされている。寝坊が大好きだった。

デービット・ヒューム

十八世紀スコットランドの哲学者でどんな分野でも優れていた善人。経験主義の著名な擁護者で、数々の名言を残した。

ジョージ・バークリー

十八世紀アイルランドの哲学者、聖職者で、独自の観念論を提出した。実存とは、究極的には心的なものであり、神々のこころにある諸観念の集合体である。我々が自分の周りの世界を見る、すると神は我々が見たものを表現する適切な観念を、我々の心の中に瞬時に植えつける。このようなことをかみはあらゆる人間に対して行っている。

ルトヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

二十世紀オーストラリアの哲学者。哲学的問題が存在するのは我々が言語に惑わされているからだと考えた。もっとも有名な著作は「論理哲学論考」と死後出版された「哲学探究」である。非常に裕福で才能に恵まれた家族の末っ子。家族の多くは何らかの理由で人生がめちゃくちゃになり、自殺を試みている。
ウィトゲンシュタインは成人してからの人生の多くをケンブリッジで過ごした。
もっとも彼は第一次世界大戦後の12年間をオーストリアの辺鄙な村の学校で、教鞭をとっていた。
うわさによればかれは、記号論理のすばらしさを理解しなかったこどもを殴ったために学校から追い出されたのだという。立派な大人でないのは確か。

ヘラクレイトス

紀元前5世紀のギリシアの哲学者。万物の根源は火っであり、万物は流転する。とといた。
ヘラクレイトスはミレトス、現在のトルコの出身である。

アリストテレス

ギリシアの哲学者で、おそらく最大の哲人。アテナイにあったプラトンと学園、「アカデメイヤ」でプラトンに師事し、自身もまたアレキサンダー王の個人教授となった。形而上学、倫理学、そして政治学など、様々な分野で重大な貢献をはたす。ルネサンスおよび17世紀の科学革命のあと、彼の影響力は衰えたが、カトリック教会の公認哲学者であり続けた。

プラトン

紀元前5世紀から四世紀のギリシアの哲学者。真の実在は形相の世界にあり、そのような知識を得ることは可能である、と唱えた。とりわけかれが創設した「アカデメディア」に通うとその可能性は大きくなるそうだ。アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドによると、西洋哲学の歴史は、プラトンへの注釈の歴史である。と述べているが、そもそもこホワイトヘッド自体あてにならないからこれは無視していい。

トマス・ホッブズ

17世紀イギリスの哲学者。道徳の社会契約説をとなえたが、それは彼の考えを擁護し、君主制を擁護するものであった。その君主制においては、彼が「リバイサン」と称する絶対権力を有する。
「リバイサン」は彼のもっとも有名な著作である。実際のところ、ファシストの気あり。
現代に生まれていたのならおそらくサダムフセインの大称賛者になっていただろう。

エピクロス

紀元前4世紀から3世紀のギリシアの哲学者で、もっとも誤解を受けた哲学者のひとり。
一般的にパーティー野郎とか快楽主義者とみなされがちだが、実際は幸福への真の道は自己の抑制であると唱えた。
死は我々を害することが出来ないということを述べたことで有名。