Do you remember the story of mermaid ??

Thats exactly tragic love story.

I don't really remember ,

because it was the last day I read the story is in my 10 years old.

So in this time let me tell you about this story in brief.

Oncce upon a time ,one sea, there were mermaid sisters,the youngest mermaid is the main character.

One day she saved a man who was a prince ,from dwowning because of wrecked ship.

And then she fell in love with him.

So she saw marine magician to be a human being.

Luckily she got two leggs instead of her voise.

She was helped by the prince who she loved when she was thrown upon the beach.

She came to live with him in his capital.

Then she rearised he've got engaged someone eles because he misunderstood he was saved by another princese.

The mermaid could not speak at all.

She never said it was she that he saved and the fact she really loved him , too.

because she lost her voice.

Unfortunetely in fact she've got another promise with the magichian ,that mean
if she fail to marry him she will die , be bubble...

The mermaid sisters had heard that thing, they saw the magichain, trying to prevent their syoungest sister' s death.

They accepted a dagger from the magichain instead of their beauty long hair.

They gave the mermaid the dagger to kill the prince because they heard if the mermaid get prince's blood, she will save.

Although the mermaid was wondering because she perfectly loved him.

And she decided not to kill him, throwing herself in the deep sea.

Finaly she became bubble , she never apperaed.

FINI



That's the exactly best way to love !!!!!! I guess.

I thihk many people consider this story to be toragedy, but, from my point of view, I think this is not toragedy because ....

she could fall in love whith him so strongry.

Even though it is too difficult to fall in love whith someone.

She had sisters who take care of her.

Most people of today stick to the ends , benefit and posses in love,

Although I wanna keep loving someone like this from now on cuz I am totally in love.

I wish your bless from distabce.

I don't really mind if you never aware of my feeling.

I won't forget you at least I'm tryin'.



経済史といってもブログで深々と話し込むのは不可能なのでここでは、今現在の経済体制の形態にいたるまでの、産業革命を簡単に順を追って説明したい。

18世紀後半から今日まで、産業界は技術革新(イノベーション)の連続であった。

最初の産業上の革新ー第一次産業革命ーはイギリスの産業革命で始まった。産業革命の結果、資本家と労働者が生まれ、自由競争と利潤追求の原則に基づく資本主義社会が成立した。

まず産業革命は、イギリスのマンチェスターで綿工業での機械の改良に先立ち、そこから織物業、石炭業、航海業にまで、革新をもたらしたことをいう。

フランス・オランダには18世紀後半に、19世紀はじめにはアメリカ・ドイツ、日本・ロシアの順でそれらの体制が入り、その結果、独占資本の発展をみた。

独占資本とは競争の結果、生き残り、巨大化した資本の銀行(銀行資本)とが結びついて市場を支配するようになったものでかつては産業資本と銀行資本が結びついたものを金融資本と呼んだ。

独占資本は、一国内の市場の支配が完了した後、海外に原料市場・販売市場を求め、支店・分工業を進出させ帝国主義(経済的膨張政策)に進んでいった。

20世紀に入って。技術革新は加速され、大量生産・大量消費の社会が出現した。しかし同時に社会主義は危機を迎えて修正された。1917年のロシア革命で社会主義体制が実現した。

20世紀のこの状態を第二次産業革命とよぶが、その特徴とは、「電気の時代」といわれて、蒸気機関に変わって内燃機関や、電動機が自動車・航空機・工場に利用され、大量生産・大量消費の社会が欧米諸国に起こり始めた。

この時代には優れた発明・発見が行われ、理論的な基礎が作られた。

1929年に始まった世界恐慌は史上未曾有の恐慌となった。その結果。恐慌・不況からの回復には各国にも国家が介入するようになった。それはアメリカのニューディール政策を踏襲・拡大したもので、イギリスの経済学者ケインズの理論がこの政策を正当化した。以後、このように資本主義の修正が始まった。

このケインズの主張を詳しく説明すると、彼は資本主義拡最大の問題は失業問題であるとの認識から国家への積極的な経済への介入を主張した。国家が公共投資・社会保障・減税・金利の引き下げによって有効需要(購買力に裏付けられた需要)を増やし、景気回復・完全雇用を図るべきだと説いた。このような考えかたを修正資本主義という。

資本主義の発展の中で成長した労働階級は、賃金・労働時間などの労働条件の改善、さらには資本主義経済体制の改革を要求するようになった。ドイツの経済学者、マルクスは階級闘争による政治改革。つまりは社会主義革命を主張した。そしてこの社会主義革命の考え方はレーニンによって発展した。レーニンは「帝国主義論」を著し、社会主義革命を実行に移した。1917年のロシア革命の結果世界初の社会主義体制のソビエト政権が誕生した。こうして第二次産業革命ではこのような二つの側面が生まれた。

第二次世界大戦後の技術革新はエレクトロニクス(電子工学技術)の利用とオートメーション(自動制御)の発達を中心に第三次産業革命をもたらした。

第三次産業革命の内容は、以下のとおり。

①材料革命 プラスチック シリコン(半導体の材料)
②情報革命 テレビ・通信衛星・ファクシミリ・コンピューター
③交通革命 ジェット機・新幹線・高速道路など
④エネルギー革命 石炭から石油、原子力、太陽光、風力・地熱など
⑤ME(マイクロエレクトロニクス)革命 半導体・ロボット・人工知能?LSI(大規模集積回路)ハイビジョンテレビコンパクトディスクの開発(自動車・家電製品の電子化・小型化・自動化に役立つ)
⑥バイオテクノロジー(生命工学)革命 遺伝子操作、細胞融合・微生物応用による医療、品種改良、醸造、土壌改良など。

アメリカを中心とするIT革命によって、1990年代には世界中のコンピューターを結ぶ銃砲網が構築された。このワールド・ワイド・ウェブ(www)とよばれる情報網のネットワークはインターネットとも呼ばれる。これは、Eコマース(電子商取引)電子政治、電子医療、電子学習などの情報化・国際化によって第一次産業革命と並ぶ大きな影響を世界にもたらした。このような出来事を第四次産業革命という。

インターネットの普及によって、世界を通じて交信がっ出来るようになった今、世界という枠組みがどんどん小さく小さくなろうという動きが起こっている。このような動きを国際化というが、一方で、デジタルギガバイト(情報格差)異文化への理解不足、宗教的寛容欠如、貧富の差によって民族紛争なども各地で起こっている。

以上のように大まかに産業革命を第四次に分けて説明をしてきた。
これから予想される第五次産業革命は間違いなく「エコ」であろう。各地の民族戦争や、いまや世界の工場を担っている新興国などの動きからも目が離せない。
そしてここへきて宗教的問題ももう一度見直さねばならない時期にもなっているはずだ。

これからも科学技術は大いに発展していく。良しにしろ、悪しきにしろ。


参考文献:現代社会 黒川和美著











今日は中国の儒教を大成した偉大な思想家、孔子について書きたいと思います。

紀元前六世紀、中国。

基本的にこの紀元前六世紀から五世紀というのは世界でいろいろな宗教、思想が生まれました。

このことはきっと人間の思考が臨界値に達し、そこから何かが生まれた(創発)からだろうといわれています。

孔子の経歴は司馬遷の、「史記ー孔子世家」に詳しいですが、そもそも世家とは、諸侯(日本で言えば大名)の逸話や伝記を記述すべき項目であり、陪臣であった孔子をとりあげることをみてもその神格さが伝わってくるといえます。(だからといって史記の記述が正しいというわけではない。)

孔子の出自は名を知られているよううな恵まれた家の出身ではないことには間違いないのです。しかし、生まれた場所と時期に関しては恵まれていたといっていいそうです。

なぜなら中国の王の名は死後につけられるもので、だいたいの「武」のつく王は歴史上何人もいますが、
大体は気性の激しい武断派であるのに対し、孔子の正国の魯は周王朝を建てた武王の弟の周公旦を始祖としていました。

孔子は周公旦を尊敬し、魯国に生まれたことを終生の誇りにしています。魯国こそ周の文化の真の継承者とみなす孔子の正統意識は、彼の打ち立てた儒学のバックボーンとなり、魯という弱小国に生まれた儒学をグローバル化させるのに大いに力を貸しています。

孔子の時代の魯は建国から六百年以上を経て下克上の状態でした。

家老職にあたる三家が、実質的な権力を握り、主君を国外に追い出したかと思うと、今度は家老の家来が主人を押しのけて反乱を起こすといった騒動が続いていました。
孔子はそうした世情を慨嘆していたが、もしも孔子がもっと早く生まれていれば国状は安定しており、あれほど熱烈に道義政治を唱える必要もなく、伝統的な聖王である堯や舜や周公の事績をたたえることもなかったことでしょう。

そしてこの孔子の思想、儒教は、紀元前136世紀、分断政治から文治政治はの転換をはかる漢の武帝のときに「儒家」の思想が国境とされ、以降、孔子は聖人として崇められ、「論語」は「儒教」の1912年に清朝が滅びるまで支配階級の必読書でした。

日本には6世紀前半に渡来し、7世紀に徳川家康によって文治政治をはかるため御用学問となり、それ以来、第二次世界大戦が終わるまで幅広く「論語」は読まれました。

私が思うに、孔子は一般観念にとらわれずにに自分が正しいと思うことを信念を持って信じることができ、周りの人間を受け止めてあげて支えてあげられる人柄だったのでしょう。

「論語」はその孔子の人柄をあらわす、孔子の言葉の数々を綴ったものに過ぎません。
だから「論語」そのものに意味があるのではなくて、孔子の生き方に意味があるのだと思います。

以下に私が感銘を受けた孔子の言葉を列記します。



子曰く、人之過つや、各々其の党に於いてす。過ちを観て欺に仁を知る。

(人の過ちは、捉われの気持ちから生じるものだ。だから、自分や他人の過ちをつぶさに観察すれば、何に捉われているのかが分り、それだけでも一歩善に近づくことが出来るんだよ。)


子曰く、過ちて改めざる、これを過ちといふ。

(過ちに気づいてそれを改めようとしないのを本当の過ちというのであって、過ちを恐れて改めようとしないのでは元も子もないよ)


子曰く、士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与にはかるべからず。


(自分は士として清く正しく生きてやるんだ!と宣言しておきながら、衣服や食事が粗末なのを恥じるようでは、とてもとてもそんな人物と語り合う気になれないね。)


子曰く、徳は孤ならず。必ず隣あり。


(孤独を恐れるんじゃないよ。正しいことをしていれば必ず同調者は現れるからね。)




参考文献:祥伝社 「高校生が感動した論語」