正宝院(飛不動)・樋口一葉旧居跡・一葉記念公園・吉原公園 ~東京都台東区の神社・寺院・史跡・街並 | 九州下町おやじの珍道中

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2020年4月中旬の東京都台東区浅草・今戸・吉原・三ノ輪散策の続き。

 

鷲神社」から「長国寺」「西徳寺」とお参りした後は、「正宝院(飛不動)」に向かいました。

 

 

鷲神社・長国寺・西徳寺のレポ

 

 

 

 

 

西徳寺」の門前の信号を渡り、道路を進んで行くと、左手のオフィスの前に、朱の鳥居を発見!扁額には「豊川稲荷とあります。

 

 

 

 

更に道路を進んで行くと、左側に、幟と朱の鳥居が見えて来て…

 

 

 

 

敷地の中を進むと、最上稲荷という御社が!

 

 

 

 

最上稲荷神社」の手前の角を左折すると、提灯が掲げられたお寺が見えて来ます。

こちらは、「正宝院」。

 

 

 

 

由緒書き「飛不動

享禄3年(1530)の創建といわれる修験寺院で、はじめ聖護院末・園城寺末から現在天台宗系の単立寺院です。

本尊は木造不動明王坐像で、「飛不動」の通称で知られ、名の由来は、昔、当寺の住職が大和国大峰山に本像を持って修行に行ったところ、一夜にして当地へ飛びかえり、人々に御利益を授けたことによる、と伝えられています。

 

 

 

 

 

飛不動」は本尊の通称だけでなく「正宝院」の通称ともなり、江戸時代前期、寛文年間(1661~1673)の「新板江戸大絵」には、すでに「飛不動」の名で見え、福利増長・息災延命の祈願道場として庶民の信仰が厚く、「日本国華万葉記や「江戸砂子などに江戸の代表的な不動霊場の一つとして記されています。

 

 

 

また別の由緒書きもあって…

 

 

 

 

 

 

本堂。

 

 

 

 

 

 

本堂に近づいて…

 

 

 

 

梁上には、剣が奉納されていました!スゴい!

 

 

 

 

奉納絵馬も…

 

 

 

 

境内を進むと、恵比寿様がいらっしゃって…

 

 

 

 

石像が2体。

 

 

 

 

こちらは、「羅漢さま」。

阿羅漢」の略で、古代インド語サンスクリットの「アルハットが語源。直訳すると「するに値する人」「受ける資格のある人」の意味で、これから発展して「修行を完成し尊敬するに値する人」「悟りを得た人」という意味になり、究極的真理を得た聖人につけられる名称となりました​。

 

 

 

 

飛不動」から路地を更に進むと、歩道の傍らに、「樋口一葉旧居」と刻まれた石碑があります。

 

 

 

 

その横には、由緒書き「樋口一葉旧居跡」。

樋口一葉は、明治26年(1893)本郷菊坂町より下谷竜泉寺368番地に移り住み、この界隈を背景にして不朽の名作「たけくら」や「わかれ道」の題材を得ました。

この碑の位置は、一葉宅の左隣り酒屋の跡にて、一葉と同番地の西端に近く碑より東方6mが旧居に当ります。

 

 

 

 

一葉はこの辺りを、

「鶉なく 聲もきこえて 花すヽき まねく野末の 夕べさびしも」

と和歌に詠んでいます。

 

 

 

樋口一葉旧居跡」の碑がある場所は、こんな雰囲気で…

 

 

 

 

その並びには、「旧町名由来案内 下町まちしるべ 旧竜泉寺町

本町名は、古刹「竜泉寺」にちなんで付けられました。「竜泉寺」の創建は大変古く、慶長から元和の頃(1596~1623)にさかのぼり、そのためこの付近一帯は早くから竜泉寺村と呼ばれていて、延宝7年(1679)の頃、吉原から金杉へ抜ける道筋に民家が建ち始め、町並みができ、そこは竜泉寺村の内でしたが、いつしか竜泉寺町と呼ぶようになりました。

 

 

 

明治2年(1869)竜泉寺町は下谷竜泉寺町と改称。

明治24年には竜泉寺村、千束村、三ノ輪村の一部を合わせ町域を広げ、下谷竜泉寺町となり、明治44年に下谷を略し再び竜泉寺町となりました。

明治文壇の女流作家樋口一葉は、明治26年7月からこの地に住みました。わずか10ヶ月でしたが、ここでの生活があってこそ一葉文学が生まれたといえる一葉ゆかりの地です。

 

 

 

路地を東の方に進んで行くと、公園が見えて来ます。こちらは、「一葉記念公園」。

 

 

 

 

園内にある石碑。

ここは明治文壇の天才樋口一葉旧居の跡で、一葉はこの地に住み「たけくらべ」を書きました。菊池寛が分を撰してこの碑を建てたのは、昭和11年のことです。

 

 

 

 

説明パネル「一葉と樹

 

 

 

 

一葉女史たけくらべ記念碑

 

 

 

 

一葉女史たけくらべ記念碑」の由緒書き。

近代文学不朽の名作「たてくらべ」は、樋口一葉在住当時の竜泉寺町を中心に、吉原界隈が舞台となりましたので、これを記念にして、昭和26年、地元一葉記念公園協賛会によって建立され、その後、台東区に移管されました。

 

 

 

碑文は女史の旧友歌人佐佐木信綱博士作並びに書による歌2首が刻まれています。

「紫の古りし光にたぐへつべし 君ここに住みてめし 筆のあや」

「そのかみの美登利信如らも この園に 来あそぶらむか 月しろき夜を」

 

 

 

「一葉記念公園」には、ちょっとした遊具もあって…

 

 

 

 

一葉記念公園」の隣の敷地には、「一葉記念館」があって…

この日は、コロナ禍で、休館中でした…

 

 

 

 

新吉原に戻って来ました。おお!?地盤が上がっている…

新吉原の地は、江戸時代、葦が生い茂る湿地だったそうなので、地盤を高くして、新吉原を造った、ということなのでしょうね。

 

 

 

 

高くなっている地盤の方に進むと、公園が見えて来て…こちらは、吉原公園」。

 

 

 

 

公園内を進んで…

 

 

 

 

反対側、奥の方から、公園の外に出て、振り返って…こちらは石段があるほど、高低差がありますね。

 

 

 

 

吉原公園」の北東側の路地は、江戸時代は、新吉原の周囲に巡らされた堀だったそうで…

 

 

 

 

堀の名残は、敷地の高低差程度しか見当たりませんでした…

 

 

 

 

豊川稲荷神社」「最上稲荷神社」「正宝院(飛不動)」「樋口一葉旧居跡」「一葉記念公園」「吉原公園」と回った後は、土手通りを三ノ輪駅方面に歩いて行きました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

豊川稲荷神社

東京都台東区竜泉3-12-2付近

 

 

最上稲荷神社

東京都台東区竜泉3-8

 

 

飛不動尊 正宝院

東京都台東区竜泉3-11-11

http://tobifudo.jp/

 

 

樋口一葉旧居跡

東京都台東区竜泉3-15-3付近

 

 

一葉記念公園

東京都台東区竜泉3-19

 

 

台東区立一葉記念館

東京都台東区竜泉3-18-4

https://www.taitogeibun.net/ichiyo/

 

 

吉原公園

東京都台東区千束4-40

 

 

 

 

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