2021年10月9日の旧中山道 妻籠宿・馬籠宿・落合宿・中津川宿レポの続き。
旧中山道 妻籠宿「本陣跡」「吾妻村道路元標」「妻籠郵便局」と見学した後は、「妻籠宿 枡形跡」に向かいました。
妻籠宿 本陣跡・吾妻村道路元標・妻籠郵便局のレポ
妻籠宿を更に進むと、右手に下って行く石畳が見えて来ます。
その分岐点に説明書きがありました。「枡形」。
徳川家康が慶長6年(1601)に宿場を制定した際に、外敵の侵入を少しでも遅らせるために設けた構造物です。
『保存の原点「寺下の町並み」この先50m』。
全国に先駆けて、町並み保存に取り組んだ妻籠宿。その保存工事が最初に行われた寺下地区はこの先です。
枡形を経て、江戸時代から明治のままに整備された町並みと、解体・復元された「下嵯峨屋」「上嵯峨屋」を始め、「まねき」「延命地蔵堂」「厩」などが見られます。
へぇ~宿場町にも、桝形を設けたのですね…
中山道は重要な街道だからか!
坂の石畳を下ると、由緒書き「桝形の跡(町史跡)」があって…
江戸時代の初めに制定された宿場は、一種の城塞の役割も持たされて整備され、宿場の出入口には必ず桝形が設けられました。
宿場の桝形とは、街道を二度直角に曲げ、外敵が進入しにくいようにしたもの。
この妻籠宿の桝形は、明治32年からの大平街道の改修工事のより、その上部斜面を掘り割られていますが、当時の姿を伝えています。
枡形跡を進むと…おお~風情ある街並が♪
いいですね~♪
石段の手前右手に、土壁の建屋が見えて来ます。
こちらは、先程の説明書きにある「下嵯峨屋」。有形文化財です。
建屋の中の様子。板間と囲炉裏があって…
「下嵯峨屋」の由緒書き。
建造当初は長屋であったものの一戸分を昭和43年に解体復原したもので、妻籠宿における庶民の住居を代表する、片土間に系列二間取形式をよくとどめています。
その片土間に入って…
説明書き「寺下地区の復原保存工事」
長野県の明治百年記念事業として、昭和43年~45年に寺下地区を中心に26戸の解体復原工事などを実施しました。
見上げると、梁と屋根裏の様子がよく見えていて…
土壁もじっくりと…
石段を上がると、お寺があります。こちらは「光徳寺」。
石段の横には、「明治三十七八年戦役紀念碑」と刻まれた石碑があって…
日露戦争の記念碑になりますね。
その近くには、石段があって、上に朱の鳥居があります。
石段を登って、御社に…こちらは、「豊川稲荷神社」。
石段を上り切ると、右手に覆い屋のある御社があって…
石段を上った所からの眺め。妻籠宿の街並が良く見えました♪
立派な門があって…
その横には、大きな長屋門が!
門には、「中部四十九薬師霊場第二十一番札所」「木曾七福神恵比須尊霊場」という銘板がありました。
長屋門をくぐって、本堂。
鐘楼。
梵鐘もじっくりと…
大きな鬼瓦もあって…
こちらは、本堂の耐震化工事として平成26年(2014)瓦葺屋根を銅板葺に葺き替えた工事に伴い、外された鬼瓦で、創建時は板葺き(コケラ葺き)だった本堂屋根は、昭和15年火災から守るため、瓦に葺き替えたもので、70年余を経過していました。
鬼瓦の後ろには覆い屋があって、中には大きめの御社がありました。
その覆い屋には、何やら、赤い前掛けをしたお人形が奉納されていて…お地蔵さまのマスコットでしょうか…?
庫裏の玄関横には、なにやら看板が…
「日本最初の人力車は この中にあります 玄関の天井をご覧ください。」
天保時代の住職の自家用車です、とありましたので、中に入ってみると…
おお!?駕籠のような乗り物が!!!
壁には、車輪が並んでいて…これは興味深い!
境内には、「鳥獣 魚族供養塔」がありました。
旧中山道 妻籠宿「桝形の跡」から「下嵯峨屋」と見学し、「光徳寺」をお参りした後は、「延命地蔵堂」に向かいました。
その様子は、また後日。
下嵯峨屋
長野県木曽郡南木曽町吾妻寺下805
光徳寺
長野県木曽郡南木曽町 吾妻上町605
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