黒田長政陣跡・竹中重門陣跡・岡山烽火場と、関ケ原の戦い決戦地と ~岐阜県不破郡関ケ原町の史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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2021年7月下旬の関ヶ原散策の続き。

 

徳川家康最後陣跡」である「陣場野公園」を見学し、「細川忠興陣跡」を見学した後は、「黒田長政陣跡」「竹中重門陣跡」である「岡山烽火場」に向かいました。

 

 

陣場野公園・徳川家康最後陣跡・細川忠興陣跡のレポ

 

 

 

 

 

 

細川忠興陣跡」から国道21号線を、丸山交差点で渡って路地を進んで行くと、溜池が見えて来ます。この池は「中田池」。

 

 

 

 

中田池に突き当たって右手に進み、案内板がある所から、右手の山道に入って…

自転車は、この場所に駐輪して…

 

 

 

 

山道を進みます。

 

 

 

 

すると、石碑と幟旗が並んでいる空間が!

 

 

 

 

その石碑には、「史跡 関ヶ原古戦場 岡山烽火場」と刻まれています。

 

 

 

 

由緒書き。この場所は「岡山烽火場 黒田長政・竹中重門陣跡」。

岡山は丸山とも通称される標高164mの丘陵で、松尾山・笹尾山・東山道(中山道)・北国街道等が一望でき、戦いの最中も戦況がよく見渡せたであろう場所で、戦いの当日の朝、黒田長政竹中重門の約5千は東軍の最右翼としてここに布陣しました。

 

 

 

重門は、始め西軍に与していましたが、岐阜城落城後、井伊直政の仲介により東軍へ転じ、南宮山の吉川広家、松尾山の小早川秀秋長政によって凋落されていました。

 

午前8時頃に開戦すると攻撃の合図の烽火を上げ、細川忠興加藤嘉明金森長近らとともに、笹尾山の石田三成を攻撃しましたが、三成の家臣・島左近清興)の奮戦により幾度も押し返されました。

長政は戦況を打破すべく、笹尾山北側へ迂回させ、石田隊を側面からも攻撃、この策は功を奏、左近長政の家臣・菅六之助の銃撃で負傷したとされます。

 

一進一退の攻撃が続く中、正午頃に秀秋らが寝返り戦況は一気に好転、西軍諸隊は総崩れとなって敗走。

黒田隊は東軍諸隊とともに、踏み止まっていた石田隊に最後の猛攻を仕掛けてこれを壊滅させ、ついに勝負を決しました。

 

 

 

由緒書きにある各隊の布陣の位置を記したマップ。

 

 

 

 

岡山烽火場」には、休憩できる東屋もあって…

 

 

 

 

お城の曲輪のような平らな空間が広がっていました。

 

 

 

 

丸山狼烟場 黒田長政・竹中重門陣跡」という石碑もあって…

 

 

 

 

岡山烽火場」からの眺め。高台になりますから、良く見えること!

 

 

 

 

関ケ原古戦場 史跡位置図

こんなにも、良く見渡せるんですね~狼煙を上げる場所に最適な感じが…

 

 

 

 

別の方角も眺めて…

 

 

 

 

岡山烽火場 黒田長政・竹中重門陣跡」から中田池に戻り、先程の突き当たりを左の方に進んで行くと…やっぱり山道だ…(^^;

 

 

 

 

すると、右手に祠を発見。

 

 

 

 

こちらは、「八幡池の祠」。

御祭神は、圀狭槌命(くにのさたちのみこと)、水速女命(みずはのめのみこと)、八大龍王。

 

 

圀狭槌命

古事記では、山の神(大山津見神)と野の神(鹿屋野比売神)がお生みになられた神様。

日本書紀では天地開闢の三柱の神様として登場されます。

「さ」は「神聖な」、「つち」は「土」を表し、「野の神聖な土の神」の意味となります。

 

 

水速女命

水を司る神様で、古事記の神生みの段において、火の神(迦具土神)をお生みになって苦しまれた伊邪那美命がお生みになられた神様。苦しまれた際の尿が神格化された神様になります。

 

 

八大竜王

仏法を守護し、法華経讃嘆の法会に列した八体の護法の竜王。

難陀・跋難陀・沙伽羅・和修吉・徳叉迦・阿那婆達多・磨那斯・優鉢羅の八竜王の総称で、水中の主であり、雨を司り、釈迦の教えに耳を傾け「悟り」を超え、護法の神に至ったそうです。

 

 

 

八幡池の祠」の目の前には、大きな溜池があって…この池は「八幡池」。

 

 

 

 

八幡池には、水面に張り出した東屋もありました。

 

 

 

 

八幡池から更に山道を進んで…

 

 

 

 

山道を抜けて、国道21号線をくぐり抜けると、平地に出るんですが、そこにも案内板がありました。次の目的地は、「関ケ原の戦い決戦地」。

 

 

 

 

この先120mに、「関ケ原の戦い決戦地」あるんですね。幟が見えている所のようですね。

 

 

 

 

真っ直ぐに進むと、「史蹟 関ヶ原古戦場 決戦地」と刻まれた石碑がありました。

 

 

 

 

由緒書き「関ヶ原の戦い決戦地

 

 

 

 

由緒書きには、布陣図もあって…

石田三成が布陣した笹尾山の目の前に当たる場所なんですね。

 

 

 

 

石碑がある場所から、笹尾山方面を眺めて…白い幟が見える所が、笹尾山になるんですね、

 

 

 

 

周囲には、農地が続いていました…

 

 

 

 

黒田長政陣跡」「竹中重門陣跡」でもある「岡山烽火場」から「関ケ原の戦い決戦地」と見学した後は、「石田三成陣跡」である「笹尾山」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

黒田長政陣跡・竹中重門陣跡・岡山(丸山)烽火場

岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原748

 

 

 

 

関ケ原の戦い決戦地

〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原

 

 

 

 

関ケ原観光ガイド

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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