2021年11月上旬の東京・三田散策の続き。
「幽霊坂」を通り、「玉鳳寺」「仙翁寺」「忍願寺」とお参りした後は、「長松寺」に向かいました。
幽霊坂・玉鳳寺・仙翁寺・忍願寺のレポ
「忍願寺」から国道1号線を更に品川方面に進むと、左手にまた別のお寺が見えて来ます。
門前には、「史跡 荻生徂徠墓」という石碑が!
由緒書き「荻生徂徠墓」。
江戸時代中期の儒学者で、字は茂卿(しげのり)、通称惣右衛門、徂徠は号。
寛文6年(1666)館林藩邸に生まれ、14歳から13年間、父方庵に従って、上総国長柄郡本納村流寓の生活を送り、独学自習、将来の学問の基礎を築きました。
元禄3年(1690)江戸に戻り、柳沢吉保に用いられ、将軍徳川綱吉にもしばしば儒学を講義するになりました。
綱吉没後、日本橋茅場町に家塾「蘐園(けんえん)」を開き、宋学を重んじ、伊藤仁斎の復古学を批判し、古文辞学を大成しました。
その学問は経学のみでなく、江戸後期の政治、経済、文学などに大きな影響を与えました。
「論語徴」「明律国字解」「訓訳示蒙」「蘐園随筆」等多くの著書があります。
将軍徳川吉宗の諮問に応えて享保7年(1722)「政談」を幕府に献上。
享保13年(1728)63歳で死去しました。
スロープを上り、山門。
こちらは「長松寺」というんですね。立派な宝篋印塔もありました。
山門の足元には、お地蔵様、観音様がいらっしゃって…
その横には、碑文が…昭和17年の銘があります。
境内に入ると、石仏が…
本堂。
本堂に近づいて…
こちらにも石仏が…
境内を奥に進むと、墓石が並んでいる空間があります。
その空間に近づくと、「鳳鳴物先生之墓」と刻まれた墓石があって…
「徂徠物先生乃墓」と刻まれた石碑も…こちらが、荻生徂徠の墓所になるんですね!
その並びにも先生と刻まれた墓石があって…
その隣にも、先生とありますね。
こちらも…
こちらは、荻生家の方の墓石のようですね。
その隣にも、先生とあって…
由緒書き「荻生徂徠墓」
物部氏の出を称したので、しばしば物茂卿(ぶつもっけい)と自署しました。
徳川時代の最大の儒者の一人と言える人物。
由緒書きの横には、墓石の配置図がありました。先程の「徂徠物先生」とあったのが、荻生徂徠墓になるんですね。
墓石の背面には、猗蘭侯(本多忠統)が墓誌を撰し、葛烏石(松下烏石)が書した旨を記した銘文が彫られている、とあります。
荻生徂徠墓の背面に回ってみて…
こちらにも、先生と刻まれた石碑が3基並んでいました。
それらの脇には、「縮碑の記録」という説明書きが…笑笑笑荻生家伝来の墓碑十数基を3基にまとめたということが記されています。
御令室のお墓もお参りしました。先妻の墓石。
後妻の墓。
石積みにはめ込まれたプレート。
「荻生徂徠墓」がある「長松寺」をお参りした後は、「立行寺」に向かいました。
その様子は、また後日。
長松寺
東京都港区三田4-7-29
にほんブログ村 福岡(市)・博多情報
https://localkyushu.blogmura.com/fukuoka_town/ranking.html?p_cid=10197823
↑ランキング参加中!クリックして戴けますと、嬉しいです!
人気ブログランキング
https://blog.with2.net/in.php?819555
↑ランキング参加中!クリックして戴けますと、嬉しいです!
Trip-Partner [トリップパートナー]
ぷらたび
イチオシのダンス&ヴォーカルユニット MonsterCat's Don't Cry No More