桐山丹波守墓所と山家宿中の茶屋・郡屋跡・下茶屋跡・問屋跡と~旧長崎街道 ~福岡県筑紫野市の史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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20225月5日の旧長崎街道 山家宿内野宿の歴史散策の続き。

 

 

山家宿番所跡」「山家宿追分」「大又池」「西部軍司令部跡洞窟記念碑」と見学し、「山家宿」の中に入った後は、更に「山家宿」をゆっくりと歩いてみました。

 

 

山家宿番所跡・山家宿追分・大又池・西部軍司令部跡洞窟記念碑・山家宿のレポ

 

 

 

 

 

山家(やまえ)宿」には、「西搆口跡」から入って「御茶屋(本陣)跡」「山家宿下代屋敷跡」「山家宿代官所跡」と回った訳ですが、初代の代官・桐山丹波守の墓がその先にあるというので、ちょいと足を伸ばして行ってみることに…

 

 

坂道を上って行くと、「桐山丹波守 墓所」の案内板が見えて来ました。

 

 

 

 

更に上って行くと、また案内板が見えて来て…舗装された道路から、未舗装の脇道に入って行くのですね。

 

 

 

 

未舗装の脇道に入って行くと…まさに山道ですが、由緒書きがありました。

桐山丹波守(孫兵衛)墓所

桐山丹波守は播磨の出身で、黒田職隆・孝高・長政・忠之の4代に仕えた、黒田二十四騎の一人です。

 

 

 

慶長の役(1597)蔚山城で明・朝鮮軍に包囲され籠城する加藤清正軍を救援。

関ヶ原の戦い(1600)の功により、黒田家は豊前中津から筑前へ転封され、丹波守は翌年に御笠郡(筑紫野市、太宰府市、大野城市)の代官を命ぜられ、給地6,000石、蔵入地2,000石を与えられました。

 

山家宿のえびす石神背面銘文によると、慶長16年(1611)に桐山丹波守山家宿を創造したとされ、山家宿の初代代官を務めたと記され、「筑前国続風土記附録」によれば、晩年は山家村で過ごし、寛永2年(1625)享年72歳で没したとされています。

 

墓石は、砂岩製の五輪塔で空輪・風輪を欠いており、向かって右手には没後百年忌の供養碑(享保9年、1724)

が子孫委によって建立されています。

左手には二百五十年忌の石碑(明治7年、1874)が百年忌の風化を危惧し建立されました。

 

 

 

由緒書きの右手に、「桐山丹波守の墓」はあります。

 

 

 

 

桐山丹波守の墓」に近づいて…

 

 

 

 

こちらが中央にある五輪塔。「桐山丹波守の墓石」になります。

 

 

 

 

向かって右手の石碑。百年忌供養塔になりますね。

 

 

 

 

向かって左の石碑。二百五十年忌供養塔です。

 

 

 

 

墓石の脇には、子孫の方と思われるお墓もあって…

 

 

 

 

桐山丹波守の墓」から上って来た道を引き返して、「山家宿代官所跡」まで戻って来ました。跡地は空地になっていました…

 

 

 

 

進んできた道を更に戻ると、途中、高さの違う小道が!右手の細い方が昔の道なのでしょうか…

 

 

 

 

御茶屋(本陣)跡」まで戻って来て…

おや?「桐山丹波守墓所」という案内板が、ここにあったんですね…気づかんかった(^^;

 

 

 

 

御茶屋(本陣)跡」から、山家宿の中を進みます。

 

 

 

 

こちらの脇道にも行こうかと思ったのですが…旧長崎街道を歩く旅なので、後回しにしました。

 

 

 

 

山家宿を進むと、途中、道路が広くなった空間があって、「離合場」というプレートがありました。「離合(りごう)」するスペースが取られているんですね!それもプレートまで!

でも、九州や山口・広島・愛媛の方は分かると思いますが…それ以外の方々は使わんもんな~笑 離合…車などがすれ違うことを指すんですよね、下町おやじも九州に引っ越してから知りましたから(^^;

 

 

 

 

旧長崎街道 山家宿を更に進みます。

 

 

 

 

上の写真の左手には、「恵比須石神像」と「山家宿中ん茶屋跡」の案内板がありました。

 

 

 

 

恵比須石神像」に近づいて…

先程の「桐山丹波守墓所」の由緒書きにあった恵比寿像になるんですね。背面には回れんかった…涙

 

 

 

 

こちらの御宅の場所が、「中の茶屋」になるんですね。

 

 

 

 

更に進むと、昔ながらの御宅が見えて来て…

 

 

 

 

その先には、史跡案内板がありました。その案内板には、「山家宿郡屋跡入口」とありました。

 

 

 

 

その敷地内に進むと、「筑紫野市山家地区史跡等案内図」が…

 

 

 

 

その案内図には、「山家宿略図」も掲示されていました。

 

 

 

 

山家宿郡屋跡」の敷地内に進んで…

 

 

 

 

山家宿郡屋跡」の説明書き。こちらは、民家なんですね。

 

 

 

 

山家宿郡屋跡」をじっくりと…趣がありますね~♪

 

 

 

 

山家宿を更に進むと、丁字路に突き当たります。

 

 

 

 

その突き当たりにも、史跡案内板がありました。こちらは、「山家宿下茶屋跡」。

御茶屋は、本陣、中の茶屋、下茶屋とあるんですね。

 

 

 

 

史跡案内板の横にも、案内板があって…

 

 

 

 

突き当たりを左折。通りを北の方、筑前内野駅方向に進むと、また史跡案内板が見えて来て…こちらは、「山家宿問屋跡」になります。

 

 

 

 

桐山丹波守墓所」をお参りし、山家宿の「中ん茶屋」「郡屋跡」「下茶屋跡」「問屋跡」と回った後は、「西福寺」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

桐山丹波守墓所

福岡県筑紫野市山家5443-3付近

 

 

山家宿 御茶屋跡

福岡県筑紫野市山家5258付近

 

 

山家宿 代官所跡

福岡県筑紫野市山家5437-2付近

 

 

山家宿 郡屋跡

福岡県筑紫野市山家5161

 

 

山家宿 下茶屋跡

福岡県筑紫野市山家5169-1

 

 

山家宿 問屋跡

福岡県筑紫野市山家5185-1付近

 

 

 

 

 

 

 

 

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