2019年3月下旬の谷中界隈の続き。
「防災広場 初音の森」「立善寺」「大圓寺」「妙円寺」とお参りした後は、「妙法寺」に向かいました。
防災広場 初音の森・立善寺・大圓寺・妙円寺のレポ
「妙円寺」の真向かいにも、お寺があります。こちらは、「長久寺」。
参道を進んで、山門。
山門をくぐって、御堂。
「長久寺」の斜め向かいにも、お寺が…「妙円寺」のお隣になりますが…
こちらは「妙法寺」。
立派な楼門ですね~
「妙法寺」の向かいにもお寺があって…こちらは「福相寺」。
入口脇には、題目塔が…
参道を進んで、山門。
山門の扁額には、山号「松栄山」とあって…
南無日蓮大菩薩。
「福相寺」の本堂。
「福相寺」の隣にも、お寺があります。こちらは、「全生庵」。
入口脇には、由緒書き「弘田龍太郎墓・曲碑」があります。
「春よ来い」「叱られて」などの作曲家。明治25年に高知県に生まれ、大正3年に東京音楽学校(現 東京藝術大学)を卒業、さらに研究科を修了し母校で教え、昭和3年、ドイツに留学、翌年に帰国し7月、同校教授に任命されたが、9月には作曲活動に専念するため職を辞しました。
晩年には、幼稚園を設立、園長となり幼児の音楽指導に当たり、特に中山晋平らとともに多くの童謡を作曲したことはよく知られています。
主な作品には、「くつが鳴る」「雀の学校」「雨」「鯉のぼり」「お山のお猿」などの童謡、「浜千鳥」「小諸なる古城のほとり」「千曲川旅情の歌」などの歌曲があります。
昭和27年、文京区本郷の自宅で亡くなり、ここ全生庵に葬られました。享年60歳。
平成元年春、親族によって、龍太郎夫妻が眠る墓のかたわらに、「叱られて」(清水かつら作詞)の譜面と、作曲家松村禎三の撰文が浮き彫りされる碑が建立されました。
その隣には、由緒書き「三遊亭円朝墓」があって…
初代三遊亭円朝は、通称出淵次郎吉といい、天保10年(1839)音曲師橘屋円太郎(出淵長蔵)の長男として江戸湯島切通町に生まれ、2代目三遊亭円生の門人となり、安政2年(1855)16歳で真打ちとなり、芝居噺で人気を博し「真景累ヶ淵」「怪談牡丹燈籠」「塩原多助一代記」などを創作しました。
話芸以外にも、點茶、華道、聞香、和歌、俳句、書画など和敬静寂の道に精通。建築、作庭にも秀で、自らの設計監督によって内藤新宿では、数奇屋造の家屋や茶室、更に新宿御苑を借景とした100坪余の枯山水の平庭を完成させた実績もあります。
臨済禅の修行においても、山岡鉄舟や由利滴水の指導の下に参禅し、難しい公案を喝破して居士号を授けられました。
書画古美術品に対する鑑識眼は極めて高く、毎年円朝忌を中心に円朝の収集した幽霊画が公開されています。
明治33年(1900)8月11日62歳で死去。墓石には、山岡鉄舟の筆により「三遊亭円朝無舌居士」とあります。
由緒書き「山岡鉄舟墓」もありました。
江戸開城の功労者で宮内省御用掛を務めた鉄舟は、天保7年(1836)6月10日幕臣小野朝右衛門の五男として江戸本所に生まれ、通称は鉄太郎、諱は高歩、字は曠野、猛虎、鉄舟、一楽斎は号です。
父の飛騨郡代在任中、高山で井上清虎に一刀流を学び、嘉永5年(1852)江戸に戻り槍術の師山岡静山の婿養子となって山岡家を嗣ぎました。
幕末の動乱の中で東征軍の東下に対し、駿府で西郷隆盛と会見し、勝海舟と協力して江戸無血開城を実現させました。
明治維新後は天皇の側近として宮内大書記官や宮内少輔などを歴任。
公務の傍ら剣術道場を開き、明治13年(1880)には無刀流を創始。
書家としても優れ、明治16年(1883)臨済宗普門山全生庵の開基となりました。開山は松尾越叟。
明治21年(1888)7月19日53歳で死去しました。
山岡家墓所には、基壇上にある有蓋角塔の正面に「全生庵殿鉄舟高歩大居士」とあり、墓所の周辺には、鉄門といわれる石坂周造、千葉立造、松岡萬、村上政忠の墓があります。
門前には「全生」と刻まれた石碑もあって…
境内に入ると、「山岡鉄舟居士之賛」と刻まれた石碑が…
由緒書き「山岡鉄舟居士之賛」。
鉄舟と交流のあった実業家平沼専蔵によって明治23年に建てられた石碑で、上部に有栖川宮熾仁親王の篆書体で「山岡鐵舟居士之賛」と題され、碑文には浄土宗初代管長鵜飼徹定による詩文が、勝海舟の所によって刻まれています。
「三遊亭圓朝翁碑」という石碑もあって…
由緒書き「三遊亭圓朝翁碑」。
明治39年、円朝七回忌に際して建てられた追悼碑で、生前愛顧を受けていた元老井上馨侯爵の所による碑文に「挂劔」(死者に対し信を守ることの例え)と刻まれていることからも、2人の交情が一方ならぬものであったことが伺えます。
「山田良政君碑」
「山田良政君碑」の由緒書き。
中国革命党の活動を支援し、1900年の恵州放棄に加わって戦死した山田良政の死を悼んだ孫文が、1913年に来日した際に建立した記念碑で、孫文自身の書で同志であった山田良政のアジアの為に捧げたその志は不朽だと記しています。
境内を進み、「全生庵」の本堂。
本堂の階段を上って…
梵鐘。
顕彰碑。
「師恩」と刻まれた石碑。
「大域成瀬先生之碑」という石碑もあって…
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成瀬 大域(なるせ たいいき、文政10年(1827年)1月 - 明治35年(1902年)2月5日)は、書家である。字は子直。通称は久太郎。大域、賜硯堂主人と号する。本名は温(ゆたか)。(後略)(ウィキペディア「成瀬大域」)
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「伴士徳君墓表」
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伴 貞懿(ばん さだよし)は、幕末の旗本。通称は門五郎(もんごろう)。彰義隊の発起人の一人。(後略)(ウィキペディア「伴貞懿」)
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「その2」に続く。
長久寺
東京都台東区谷中5-4-11
妙法寺
東京都台東区谷中4-4-30
福相寺
東京都台東区谷中5-4-9
全生庵
東京都台東区谷中5-4-7
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