2021年4月24日の愛知県犬山市・岐阜県各務原市鵜沼宿の歴史散策の続き。
「旧磯部家住宅」の続き。
旧磯部家住宅(その1)のレポ
土蔵の奥にも、また別の土蔵がありました。
その土蔵は、「奥土蔵」。
商品を収納する蔵で外側腰壁は洗出し仕上げとするなど比較的簡素な造りですが、規模は大きく、二階窓は2箇所あり、建築年代は明治8年。
現状に合わない欠き込み跡が多数認められ、濃尾大震災後に古材を用いて再建されたものと思われて来ましたが、今回の修復工事で濃尾大震災では上庇部分は崩壊しましたが、本体は崩壊せず、屋根の葺き替え、土台、柱の下部壁の一部修理が行われたことが分かりました。
こちらは…屋根に置かれていた鯱!?
このシャチホコは「寂光院随求堂の鯱」。文化4年(1807)の箆書があります。
こんな説明書きも…『和風住宅の「釣り束」』。
ここに展示してある部材は、明治40年頃に建築された建物の和室に使われていた、鴨居の「釣り束」というもので、この和室では二間(約3.6m)幅の柱間に襖4枚引違に立て、鴨居の上には換気の為に欄間を設けていて、鴨居は、陸梁(一番下の梁)から「釣り束」で釣って垂れ下がりを防いでいます。
建築後に梁が少しでも垂れ下がると、当然釣り束も垂れ下がり、襖の開閉ができなくなります。その際には、天井裏に入り、井桁に組んである釣り束の上部に楔を打てば、高さの調節が簡単にできる仕組みになっています。
この説明書きの横には、木材を組んだものが置かれていて…こちらは「釣り束」のサンプルのようです。
その横には、木の切り株が!
こちらは、国宝犬山城の脇にある樹齢600年以上と言われる杉のご神木で、約20年前に枯れ、この度、枯れ死保存のために上部を伐採した古材です(平成4年)
犬山城天守の脇に、大木がありますね~
「奥土蔵」の中に入ります。
ガラスケースの中には、木材と瓦が展示されていて…
一番上の木材の由緒書き。
奥蔵の北側中央柱足元の根継材に書かれていた墨書には、文化4年(1807)の銘があって、書かれている内容から、犬山城の櫓などに使われていた柱材を明治初年に解体し払い下げられ、それを用いて蔵が作られたものと推定されます。
奥土蔵の2階に上がると、「旧磯部家住宅保存修理工事について」という説明書きがあって…平成16年12月から平成17年11月まで1年間かけて保存修理工事を行ったのですね。
「旧磯部家住宅主屋修理後図面」
「磯部邸修復記録」として、写真も掲示してありました。
梁がまた何とも言えず、いいな~♪
糸車もあって…
「漆喰塗と色物壁の試し塗り」
試し塗りをして、色合いなどを確かめたんですね~
三重塔の模型。
この模型は、「国宝 興福寺三重塔1/15模型」なんですね♪
犬山に残る町家を、保存修理しているんですね♪修理前と修理後の写真が並べて展示してありました。
長持もあって…
こちらは…先程見た「釣り束」のサンプルのようです。それにしてもたくさんあるな~
兜飾りとこいのぼりも…端午の節句が近い時期でしたからね~
たくさん展示してありました。
箱階段も♪いいですね~♪
箱階段の上には、「土蔵」の説明板が…あれ?ここは「奥土蔵」。この説明書きは、先程見学し終わったもう一つの「土蔵」のものですね…(^^;
「奥土蔵」の見学を終え、外に出て、もう一つの「土蔵」なまこ壁をじっくりと…
「旧磯部家住宅」には、九州で言う「さげもん」のようなものがたくさん展示されていました♪
建物内部の見学を終えて、「旧磯部家住宅」を今一度…奥に長いんですね~やっぱり
「旧磯部家住宅」を見学した後は、「高木家住宅」に向かいました。
その様子は、また後日。
旧磯部家住宅
愛知県犬山市犬山東古券72
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