亀戸香取神社(その2)勝守 ~スポーツの神様 ~東京都江東区の神社 | 九州下町おやじの珍道中

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2020年4月上旬の江東区亀戸地区散策の続き。

 

亀戸香取神社」の続き。

 

 

梅屋敷跡・龍光寺・亀戸香取神社(その1)のレポ

 

 

 

 

 

境内神社「稲足神社」の隣には、「天祖神社」が鎮座していて…

 

 

 

 

由緒書き「天祖神社(入神明宮)

祭神は、天照大御神。昭和63年の香取神社改築に伴い移転され、境内神社として祀られるようになりました。

創立は江東区内では最も古く、口伝によるとこの地が四辺海に囲まれていた頃、漁船がしばしば風浪の危難に遭う毎に伊勢の大神を記念すると災害を免れたということで、太平榎塚に小詞を営み鎮祭されたと言われ、明治40年、境内からは多量の硾(いわ)が出土しました。

 

 

 

 

参道脇には「勝石」がお祀りされていて…

 

 

 

 

勝石の由来」を刻んだ石碑。

亀戸香取神社は天智天皇4年(665)藤原鎌足公が東国下向の際、亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請し、太刀一振りを納めて旅の安泰とご神徳を仰ぎ奉りましたのが起こりで、御鎮座1,350年記念事業の一環として、この故事に基づき、太刀一振りを冠した「勝石」を建立しました。

 

 

 

 

亀戸香取神社」の社殿。

 

 

 

 

参道脇の石灯籠。

 

 

 

 

拝殿に近づいて…

 

 

 

 

亀が井の由来」を刻んだ石碑もありました。

亀戸の地名の起こりとされている「亀が井戸」を再興し、併せて恵比寿様・大国様の石像をお祀りしました。

 

 

 

 

その横には、再興された「亀が井戸」。

 

 

 

 

境内脇には、古そうな井戸もあって…「苦水や 福も汲みあげ 亀が井戸

こちらが、亀が井戸?そんなことはないか(^^;

 

 

 

 

「奉祝」と記された石碑。

 

 

 

 

拝殿正面の参道を下ると、「亀戸大根之碑」があって…

 

 

 

 

由緒書き「江戸・東京の農業 亀戸大根

この辺りで大根作りが始まったのは、記録によると文久年間(1861~1864)頃とされ、当香取神社周辺が栽培の中心地で、以来、明治時代にかけて盛んに栽培されてきました。

当地は荒川水系によってできた肥沃な粘土質土壌であった為、肉質が緻密で白く冴えた肌の大根づくりに大変適していました。

 

 

 

亀戸大根は、根が30cm程度の短い大根で、先がクサビ状に尖っているのが特徴で、明治の頃は「おかめ大根」「お多福大根」と言われましたが、大正初期になって産地の名をつけて「亀戸大根」と呼ばれるようになりましたが、宅地化が進んだ大正時代の終わり頃から産地は江戸川区小岩や葛飾区高砂などに移って行きました。

 

秋から冬にかけて種をまいて早春に収穫となる亀戸大根は、当時は他に大根などの全くない時期で、新鮮な野菜の出始めの頃なので、根も葉も浅漬けにして美味しいことから、江戸っ子から大いに重宝がられました。

 

 

 

手水所。

 

 

 

 

手水所の手前には、由緒書き「紙本淡彩道祖神祭図 歌川広重筆 一幅」がありました。

道祖神祭図は、本紙を掛軸に表装したもので、本紙は縦33.6cm、横40.6cm。表装は縦158.0cm、横47.0cmです。

 

 

 

香取神社の道祖神祭は、毎年正月14日、氏子の子供たちが宝船をかつぎ、亀戸から両国の辺りまで練り歩いたもので、享保の頃から始まり、明治初期まで続きました。

その光景は「江戸名所図会」の挿し絵に載せられ、「東都歳事記」にも記載されています。本図は人物や宝船を墨で描き、朱、青で淡彩を施し、作者は浮世絵師・歌川広重、嘉永5年(1852)以降、広重の円熟期に描かれた作品とみられます。

江東区指定有形文化財(絵画)。

 

 

 

参道脇の狛犬。

 

 

 

 

狛犬の辺りから、振り返って社殿を…

 

 

 

 

石碑「木遣之由来

 

 

 

 

木遣音頭碑

 

 

 

 

古そうな石碑もあって…途中で折れてしまっているようですが…

そうか、右の小さい方、「亀戸」とある方が左の「守 神社」の上に載っていた、と言うことなのかも知れません…

 

 

 

 

更に参道を下って、鳥居。

 

 

 

 

香取神社」の由緒書き。

御祭神は経津主神、相殿に武甕槌神・大己貴神。

経津主神は千早振る神代の昔、天照大神のご命令により、鹿島大神とともに豊葦原瑞穂国(日本の国)の平定に手柄を立てられた威霊優れた国家鎮護の神として仰がれる我国武将の祖神であります。

 

 

 

創立は天智天皇4年(665)藤原鎌足公が東国下向の際、この亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の安泰を祈り、神徳を仰ぎ奉りましたのが起因です。

天慶の昔、平将門が乱を起こした時、追討使俵藤太秀郷が当社に参籠し戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、目出度く乱を平らげたので神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝矢と命名されました。現在でもこの故事により勝矢祭が5月5日(武者行列)に執り行われれています。

 

 

 

亀戸香取神社の社殿の配置図。

 

 

 

 

その鳥居をくぐって、振り返って…

 

 

 

 

由緒書き「香取神社

 

 

 

 

鳥居の前から、スカイツリーと桜を…

 

 

 

 

香取神社 スポーツの神 勝守(かちまもり)」の看板。

スポーツで勝つ 病気に勝つ 自分に勝つ」…いいですね~♪

 

 

 

 

参道を更に下ると、大通り・蔵前橋通りに出るのですが、そこで振り返って…

 

 

 

亀戸香取神社」をお参りした後は、「亀戸天神」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

亀戸香取神社

東京都江東区亀戸3-57-22

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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