2020年5月中旬に、旧東海道歴史散策の続きをして来たんですよね。
「海難供養塔」「徳浄寺」をお参りし、内川橋を渡って、「旧羽田道(するがや通り)」を歩いた後は、「厳正寺」に向かいました。
海難供養塔・徳浄寺・内川橋・旧羽田道・するがや通りのレポ
「旧羽田道(するがや通り)」を南下していくと、左手に、古そうな石積みの塀が見えて来ます。墓地のようです。
塀が途切れると、そこはやはりお寺でした。こちらは、「厳正寺」。
境内を進むと、「雲浦来人碑」?と刻まれた石碑があって…
その隣には、「平林正之助翁頌徳之碑」。
明治22年、大森村長に就任された人物の顕彰碑のようです。
そのまた隣には、「真龍翁」という石碑があって…。
その横には、「故貴舩尋常高等小学校長…」という石碑がありますが、下の方は植木で読めませんでした…校長先生の名が刻まれていると思うのですが…汗
参道を進んで、楼門。
楼門の脇には「水止舞の寺」と刻まれた石碑も…
「水止舞」とは…汗?
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古くから水害に悩まされたことから伝わる、雨を止める祈りの行事。ほら貝を吹く龍神をこらしめ、獅子舞でしずめます。
都の無形民俗文化財に指定。(大田区HP)
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雨を降らせる雨乞いではなくて、雨を止める為の祈り・舞があるんですね…知らなかった…汗
その横には、由緒書き「梵鐘」もありました。大田区文化財。
高さ143cm、口径47cm。梵鐘の側面(「池の間」と呼ばれる部分)に刻まれた銘文によって、当寺17世祐尊の代、安永元年(1772)武州品川に住む鋳物師渡部亦市が鋳造、寄進者は大森村などの檀信徒で、川端九日講中、堀之内十三日講中、同十四日講中、同十五日講などの講の名が見られ、この地域における真言系講集団の存在を示す資料でもあります。
門の下から、上部の鐘楼が見られました♪でも、側面は見えず…
楼門をくぐって…
手水石でしょうか、鳩の彫刻が置かれた噴水装置があって…
慰霊碑と思われるモニュメント。
本堂。
「厳正寺」から路地を進んで行くと、神社の社殿が見えて来ます。こちらは、「貴船神社」。
また脇から入ってしまったようです…汗
こちらは、神楽殿のようです。
社殿脇に、朱の鳥居があって…こちらは「貴舩稲荷神社」。
お稲荷さんには、やはり金網が被せられていますね。
「貴船稲荷神社」の横にも御社がありました。こちらは「熊野神社」。
境内を進むと、社殿の前に、石橋があって…
「貴舩神社」の社殿。大きくて立派ですね~
石橋の近くに、手水所。
石橋は、社殿正面の参道にあります。
参道を下って…
狛犬。
こちらの石碑は…「漁業納畢之碑」とあるようです…
鳥居をくぐり、振り返って…
「貴舩神社」の由緒書き。ちょっと読みづらいですね…
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貴舩神社(きふねじんじゃ)は東京都大田区の神社。
概要
創建年代は不明である。ただ厳正寺を開山した法円に同行した田中大夫が当社の摂末社として熊野社を設けたという逸話から、鎌倉時代には既に存在していたと推測される[2]。
境内には、大森地区の漁業権放棄を記した「漁業納畢之碑」がある。(後略)(ウィキペディア「貴舩神社」)
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鎌倉時代から存在していたと推測されているのか…歴史ある神社なのですね。
「大森町社貴舩神社」と刻まれた石碑。
「貴舩神社」という石碑もあって…
参道を更に進んで、境内の外に出て、振り返って…
「厳正寺」「貴舩神社」とお参りした後は、旧東海道に戻り、散策を続けました。
その様子は、また後日。
厳正寺
東京都大田区大森東3-7-27
大森貴舩神社
東京都大田区大森東3-9-19
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