2018年8月17日の鹿児島市内散策の続き。
「西郷隆盛終焉の地」「延命地蔵菩薩像」「敬天愛人の扁額」「西郷隆盛洞窟」と回った後は、「薩摩義士碑」に向かいました。
西郷隆盛終焉の地と、延命地蔵菩薩像と、敬天愛人の扁額と、西郷隆盛洞窟のレポ
「西郷隆盛洞窟」から上って来た坂道を下り、一つ目の信号を右折すると、右手の山裾に「薩摩義士碑」があります。
石段脇には、石灯籠もあって…
石段を上って、「薩摩義士碑」に近づきます。
その横には、「宝暦義士碑」。薩摩義士の顕彰碑になります。
由緒書き「薩摩義士碑 神になった薩摩義士」
岐阜県に、宝暦5年(1755)の薩摩藩による木曽川治水工事の犠牲者を祀る「治水神社」があります。
川床の高さが異なる木曽川・長良川・揖斐川の三河川が合流し、度々大水害を引き起こしていましたので、宝暦3年(1753)幕府は薩摩藩にこの治水工事を命じ、家老の平田靱負(ゆきえ)を総奉行に任じ、約1,000名を派遣、平田は大坂の商人から22万両を借り工事に取り掛かりました。
梅雨の増水で築いた堤が切れ、工事は困難を極め、監督する幕府役人の横暴や疫病の発生により、自刃、病死するものが続出し、完成までの1年3ヶ月の間に犠牲者は84名を数え、工費も40万両に達しました。
平田総奉行はその責めを一新に追い自刃。
藩政時代は幕府への遠慮から、彼らの偉業は公表されず、大正9年(1920)ようやく慰霊碑が建ち、義士として称えられました。
悲しい歴史があったのですね…涙
ここ「薩摩義士碑」も、以前訪問しており、レポしています。
薩摩義士碑の以前のレポ
「薩摩義士碑」から更に進むと、右手にお濠が見えて来て、城山入口交差点を右折すると、「鶴丸城跡」に到着です。
鶴丸城内には入らず、そのままお濠に沿って進みます。
お堀には、蓮の葉がびっしりと…
蓮の花もキレイに咲いていました♪
鶴丸城跡から、海の方に進んで、鹿児島市役所を…
鹿児島市庁舎は、古そうですね~歴史の重みを感じます(^^)
鹿児島市役所も、以前レポしているんですよね。
鹿児島市庁舎の以前のレポ
鹿児島市役所からは、路面電車に乗って、鹿児島中央駅に移動。
JR鹿児島中央駅東口の駅前広場には、大きなモニュメントがあります。
こちらは「若き薩摩の群像」。薩摩藩が慶応元年(1865年)にイギリスへ派遣した留学生一行の像で、藩の優秀な青少年15名と使節団4名、計19名の「薩摩藩遣英使節団」をイギリスに派遣しました。
この若き薩摩の群像も、以前レポしています。
若き薩摩の群像の以前のレポ
帰りの九州新幹線まで、まだ時間があったので、かるかんを食べちゃいました~♪それも、明石屋♪
鹿児島中央駅東口、駅前広場の北側路地を入った所に、「明石屋 中央店」がありますので、立ち寄って来ました~♪
明石屋さんでは、店内で頂くこともできるんですよね~♪コーヒーも飲めますし(^^)
この日の散策の疲れも、美味しいかるかんで、かなり回復しました!
この後、九州新幹線に乗車して、帰路に着きましたので、この日の歴史散策はこれにて終了ですが、新幹線に乗ると、どーしても、ビールが飲みたくなっちゃうんですよね~笑
今回の鹿児島出撃で、念願の知覧にも行けましたし、鹿児島市内もゆっくり歩けて、楽しい散策となりました!
この後、鹿児島には全然行けていないので、近いうちに出撃したいな~と、レポをアップしていて、強く感じましたよ…次は、いつ行けるかな、鹿児島に…
薩摩義士碑
鹿児島県鹿児島市城山町11
鶴丸城跡
鹿児島県鹿児島市城山町7
鹿児島市役所
鹿児島県鹿児島市山下町11-1
明石屋 中央店
鹿児島県鹿児島市中央町2-2
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