太宰治旧宅跡と、船橋御殿跡・旧船橋市役所跡と、御蔵稲荷神社 ~千葉県船橋市の史跡・神社 | 九州下町おやじの珍道中

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202012月中旬、仕事で、船橋駅方面に出かける用事があって、仕事場に向かう途中に、いつもの歴史散策をして来ました。

 

 

京成船橋駅から、路地を津田沼方面に進んで行くと、九重橋が見えて来ます。

 

 

 

 

左手には、京成電鉄の高架が見えていて…

 

 

 

 

九重橋の下を流れるのは、海老川

 

 

 

 

欄干には、銅のプレートが取り付けられていて…

 

 

 

 

橋の中央には、「太宰治」のモニュメントが!走れメロスの一節と、太宰治の肖像画・年譜が刻まれていました。

 

 

 

 

こちらの欄干には、また別のプレートが…

 

 

 

 

九重橋を渡り、京成の高架をくぐって2つ目の角を右折。すると、左手の民家の庭先に由緒書きと石碑があるんですよね。

 

 

 

 

石碑には、「太宰治旧居跡」と刻まれていました。

 

 

 

 

由緒書き「太宰治旧宅跡

短い期間ですが、船橋で生活していました。昭和10年(1935)26歳の時に、東葛飾郡船橋町五日市本宿1928番地(現、宮本1丁目12-9)の新築の借家に移り住みました。

この頃の太宰は、大学に落第し、自殺未遂を起こし、盲腸炎をこじらせ腹膜炎となり、その鎮痛剤パビナールによる中毒に陥っていて、療養のための船橋移住でした。

 

 

 

この時、旧制弘前高等学校時代に知り合った妻の初代も一緒で、療養のための移住でしたが、パビナール中毒を断つことができず、症状の悪化を心配した家族が、井伏鱒二に説得を依頼し、昭和11年に東京の病院へ移ることとなりました。

船橋在住の間、「ダス・ゲマイネ」「めくら草紙」「虚構の春」などの名作を世に送りました。

著書「十五年間」に、「私には千葉船橋町の家が最も愛着が深った。」と記されているように、度々居所を変えた太宰にとって、船橋が特に思い出深い土地であったことが窺えます。

 

 

なるほど!この地に、太宰治が住んでいたので、九重橋にモニュメントがあるんですね~♪

 

 

 

太宰治旧宅跡」から南に路地を進み、突き当たりを右折すると、また橋が見えて来ます。こちらは「栄橋」。

 

 

 

 

橋の欄干には、音符~♪

 

 

 

 

橋の中央には、モニュメントが!この橋にも、あるんですね♪

 

 

 

 

こちらにも!

 

 

 

 

台石には、「手のひらを太陽に」の歌詞が刻まれていました。面白い!

 

 

 

 

栄橋の下を流れているのも、海老川です。

 

 

 

 

栄橋を渡り、そのまま路地を進むと、左手に公園が見えて来ます。こちたは「本町中央公園」。

 

 

 

 

公園内を進んで行くと、右側に、神社があるんですよね。後程、立ち寄ってみましょ♪

 

 

 

 

女性の像が…せくすぃ~笑

 

 

 

 

公園内に、「船橋御殿跡(本町4丁目)」という由緒書きがありました。

ここは、船橋御殿跡があった所で、標高約3mの砂州上です。御殿は江戸時代の始め、徳川家康の命により造られましたが、それ以前は戦国時代の船橋大神宮宮司の富氏の居館があったと伝えられています。

 

 

 

1613年頃、船橋・千葉。東金をほぼ一直線に結ぶ御成街道(東金街道)が幕府により造られ、船橋御殿千葉御茶屋御殿(千葉市)、東金御殿(東金市)を最も短距離で結ぶ為の道。

3つの御殿は北総の要所となる所に造られ、将軍が鷹狩りや地方巡検の宿泊・休憩用に使われました。

御殿は、中世の城と同じように防御用の土塁や堀があり、軍事的な拠点の役目もあって、初代将軍家康や2代徳川秀忠が宿泊した記録も残りますが、貞享年間(1684~1688)に取り壊されました。

面積は約57,000㎡、東京ドームよりも広かったことが分かります。

船橋市指定史跡の「東照宮」がある場所は、家康たちが利用した御殿の建物があった所で、富氏が家康を祀るために建立しました・

 

 

 

由緒書きには、「船橋御殿跡」の位置を表す地図と…

 

 

 

 

船橋御殿跡と御成街道(江戸時代のようす)」という地図も掲示されていました。

 

 

 

 

歴史の散歩道コース」という案内板もあって…

下の写真は、昭和15年頃の船橋市役所。昭和33年までこの場所にあったのですね!

 

 

 

 

 

そのコース案内マップ。神社仏閣がいろいろあるんですね~これは便利だ♪

 

 

 

 

本町中央公園」に隣接して、朱の鳥居があります。こちらは、「御蔵稲荷神社」。

 

 

 

 

御蔵稲荷神社」の由緒書き「御蔵稲荷の由来と謝恩の碑

3代家光の正保年間に、船橋御殿だった敷地の一角に九日市村の飢饉に備え穀物を蓄えておく郷蔵が建てられ、当時、郷御蔵と呼ばれ、御蔵のお蔭で当地では延宝、享保、天明の飢饉にも餓死した者はいませんでした。

 

 

 

寛政3年、御蔵は出水の為流失、御蔵への感謝をこめ地元民が浄財を募り、稲荷祠の社殿を大きく建て直しました。

慶応4年、船橋宿一帯は戊辰戦争の兵火のため大半が焼失。その復旧工事中の翌明治2年、土取り中御蔵稲荷東北、郷蔵跡地あたりから、渡来銭の詰まった大瓶三口が出土。

瓶は高さ四尺(1.2m)、中国銭貨の洪武通宝、永楽通宝等250貫余(約940kg)も入っていました。

明治21年に、経緯を刻んだ「銭瓶遺跡之碑」を建立しましたが、昭和中期頃失われ、昭和初期文人太宰治氏は鄙びた御蔵稲荷を好み、その作品にも書き残しています。

 

 

 

鳥居をくぐり、社殿。先程、公園から社殿の側面が見えていましたね。

 

 

 

 

社殿手前のお稲荷さん。

 

 

 

 

京成船橋駅から九重橋を渡り、「太宰治旧宅跡」を見学し、栄橋を渡って、「船橋御殿跡」「旧船橋市役所跡」である「本町中央公園」を歩き、「御蔵稲荷神社」をお参りした後は、「船橋御殿跡 附 東照宮」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

太宰治旧宅跡

千葉県船橋市宮本1-12-9

 

 

本町中央公園(船橋御殿跡・船橋市役所跡)

千葉県船橋市本町4-31

 

 

御蔵稲荷神社

千葉県船橋市本町4-31-20

 

 

 

 

 

 

 

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