2020年8月下旬の千葉県浦安市散策の続き。
「旧濱野医院」を見学した後は、「清瀧神社」に向かいました。
旧濱野医院のレポ
「旧濱野医院」から歩いて来た道を引き返し、「清瀧神社」に到着。
「清瀧神社」は、以前レポしているので、詳しくは、そちらをご覧頂くとして、今回はサラッと紹介します。
清瀧神社のレポ
境内を進んで、社殿。
社殿に向かって左手には、「富士塚」があって…
本殿の彫刻が見事なんですよね~
その彫刻をアップで…
いや~素晴らしい!
「清瀧神社」のすぐ南側に、お寺があります。こちらは「宝城院」。
境内に入り過ぎ右側に、御堂があって…
御堂の前に、由緒書きがありました。「宝城院の庚申塔」。
元文元年(1736)宝城院住職の賢宥法印によって、建立された庚申塔で、
塔の表面中央に、邪鬼を踏みつけておさえている青面金剛菩薩、その下に庚申の干支にちなんだ「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿、青面金剛の左右の二人の童子と雌雄の鶏、さらに下段には四体の夜叉が見事に彫刻されています。
庚申信仰は、道教(古代中国で成立した不老長生や現世利益を主な目的とした宗教)の三尸説(さんしせつ)や日待(近隣の仲間が特定の日に集まって、夜明かしする行事)などが習合した信仰です。
三尸説とは、干支の庚申にあたる日の夜に、人の体内にいる三尸の虫が抜け出し、天の神にその人がしてきた罪を告げ、これを聞いた天の神がその分だけその人の命を削りとって早死にさせてしまうという信仰で、これを避けるため、夜を寝ずに会食し、話をしながら過ごしました。
その庚申塔は、こちら。いや~見事な庚申塔ですね~
庚申塔の横には、出羽三山(湯殿山・月山・羽黒山の供養塔が!
御堂の隣には、弘法大師1千年御忌供養塔があって…
その横の石灯籠。古そうです…
その横には、石祠も…
境内入口、御堂の反対側にも、御堂がありました。
中には、弘法大師でしょうか、4基の石仏が並んでいて…
その横にも、石仏が…昔の墓石のようです。
「故陸軍上等兵町山巌之墓」と刻まれた大きな石碑。
「海軍二等兵曹大塚松夫之墓」と刻まれた碑もありました。
その横の御堂には…
お地蔵様が安置されていました。
「故陸軍伍長折本徳次郎之墓」
本堂。
本堂に近づいて…
南無大師遍照金剛像。
由緒書き「おびんずる」
本堂の左側に「おびんずる様」と呼ばれ、地域の人々に厚く信仰されている仏像が安置されています。
「びんづる」とは、お釈迦様の弟子である十六羅漢の一人、賓頭盧尊者のことです。
日本では、本堂の外陣(一般の人が拝礼する所)に「びんずる像」が安置され、病人が患部と同じ所を撫でて回復を祈願すると、病が治ると信じられていて、「撫で仏」とも言われます。
「宝城院」のおびんずる様には、手に宝珠の玉が載せられていますが、この玉が信者によって持ち帰られ、願い事が叶うと元に戻されているということが度々あったと伝えられています。
台座裏の墨書きの文字から、江戸時代後期の文政7年(1824)大仏師西山浄慶・西山清八によって造られ、明治37年(1904)岡崎善蔵のよって修復されたことが記されています。
本堂の脇には、立派な五輪塔が何基も並んでいました。
「清瀧神社」から「宝城院」をお参りした後は、「大蓮寺」に向かいました。
その様子は、また後日。
清瀧神社
千葉県浦安市堀江4-1-5
宝城院
千葉県浦安市堀江4-14-1
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