2021年2月下旬の休日、仕事で、東急田園都市線あざみ野駅方面に出かけた後は、プライベートで渋谷に行って来たんですよね。
稲荷神社・庚申塔・新石川中村公園・向根公園・中村大橋のレポ
東急田園都市線で、渋谷駅に到着した後、西口界隈で、ランチできるお店を物色…
すると、史跡案内板を発見。「東京新詩社跡」。
与謝野鉄幹は、明治34年(1901)麹町から渋谷に移り住み、晶子と結婚、東京新詩社の機関誌「明星」を12号から発行し、晶子も歌集「みだれ髪」を刊行しました。
詩歌革新を目指して盛んに文学活動を行いましたが、明治37年に千駄ヶ谷に移るまでに、この近くで二度住まいを変えています。
千駄ヶ谷に移ってから、東京新詩社は最盛期を迎え、晶子も歌集「恋衣」や「夢の華」などを刊行しましたが、新詩社の機関誌「明星」が100号で廃刊される事態となり、明治42年に神田駿河台に移りました。
与謝野鉄幹、与謝野晶子夫妻は、渋谷に住んでいた時期があるんですね…
で、この日のランチは、「博多天神 渋谷南口店」で、とんこつラーメンを食べたんですよね~
既にアップ済みですが…
博多天神 渋谷南口店のレポ
ランチを食べた後、用事を済ませて、渋谷駅前スクランブル交差点からJR高架をくぐり、宮益坂下交差点を右折。
明治通りを恵比寿駅方面に歩き、国道246号線を越え、暫く歩くと、左手にラーメン店「長岡生姜ラーメン しょうがの湯」さんが見えてくるので、その角を左折。
すると、坂道になっている路地の正面に、こんもりした木々と鳥居が見えて来るんですよね。
ちなみに、曲がった角のラーメン店「長岡生姜ラーメン しょうがの湯」さん、期間限定ですが、お気に入りのライバー・東まきちゃんが看板娘を務めていまして、ポスターや幟に、東まきちゃんが出ています(^^)
鳥居の横には、由緒書きがあって…こちらは「金王八幡宮」。
御祭神は、応神天皇。寛治6年(1092)(皇紀1752年)渋谷氏の祖 河崎基家により鎮祭され、基家の子 河崎重家が鎌倉街道沿いの要所であるこの地に館を構えて居城として以来、渋谷氏の氏神として尊崇されました。
渋谷重家には嫡子がなく当神社に祈願した処、渋谷金王丸常光、後の土佐坊昌俊を授かり、金王丸の活躍は平治物語・吾妻鏡などに見られる通りで、当初「渋谷八幡宮」と申しておりましたが、金王丸の名声に因み「金王八幡宮」と称するようになりました。
境内の金王桜(渋谷区指定天然記念物)は、源頼朝が金王丸を偲び植えたもので、一重と八重が混じって咲く珍しい桜で、江戸三名桜に数えられました。
江戸時代には、竹千代(徳川家光)の教育係の青山伯耆守忠俊と乳母の春日局が3代将軍就任を当神社に祈願し、その願いが成就したのは大神の神慮によることとして、現在の社殿・神門(渋谷区指定文化財)を寄進されました。
境内に入ると、右手に神楽殿があって…あら?また脇から入ってしまったようです…(^^;
左手の社殿の前には、大きな石が置かれていました。
こちらは、「渋谷城 砦の石」。
この辺り一帯の高台は、平安時代末期から渋谷氏一族の居城の跡で、東に鎌倉街道(現 八幡通り)、西に渋谷川が流れ、北東には黒鍬谷を有し、数ヶ所に湧水があると言う好条件を備えていました。
しかし、その館「渋谷城」は大永4年(1524)北条氏綱と上杉朝興の高輪原の戦(現 品川区高輪付近)の時、渋谷氏が交戦中だった北条軍の別動隊より襲われ焼き払われてしました。
この石は、渋谷城の痕跡なのですね…
確かにこの辺りは、渋谷駅よりもかなり高い場所になりますからね…城跡だったこともよく分かります。
左手の拝殿。鮮やかな朱ですね~
軒下の彫刻も素晴らしい!
虎の彫刻に…
象の彫刻も!!!
拝殿に向かって右には、「金王桜」の由緒書きがありました。
長州緋桜という種類の桜と言われ、花弁は5~7枚ですが、雄しべが花弁化したものも交っていて一枝に一重と八重の花が入り混じって咲く大変珍しい桜です。
この桜にはさまざまな伝承があり、「金王桜神社社記」によれば、源頼朝の父源義朝に仕えた渋谷金王丸の忠節を偲び、頼朝が金王丸の名を後世に残そうとして、鎌倉亀ヶ谷の館から金王丸のゆかりのこの地に移植したものとされています。
その後ろには、松尾芭蕉の句碑。
「しばらくは 花のうへなる 月夜かな」とあるようです。
金王桜の全景。結構大きいサクラの木なんですね(^^)
社殿手前の狛犬。
先程の神楽殿を別角度から…
参道を下って、振り返って、社殿。美しい社殿だな~♪
おみくじを括り付ける所は、中央に何やら四角く区切られた空間があって…何かお祀りされているような空間です。
上の写真の左奥の建物は宝物館。折角なので、見学して行くことに…
中に入ると、おお~お神輿がありますね~♪
手前の神輿の由緒書き。鎌倉時代の作で名は不詳。都内最古の神輿で、江戸時代初期に当八幡宮の氏子、青山百人組の御家人が鎌倉の八幡宮の大祭に参詣した折、鎌倉より担ぎ来て当八幡宮に納めたもので、途中で日が落ち、追手の者は神輿を見失ったと伝えられ、この場所を「暗闇坂」(別名 目黒 目切坂)と言います。
奥の金色のは、神輿ではなく「鳳輦(ほうれん)」でした。
屋根に鳳凰の飾りがある天子の車を意味し、天皇の正式な乗り物で、現代では神社の祭などに使われる鳳凰の飾りがある神輿を意味します。
この鳳輦は、昭和31年9月に新調したもので、車輪がついた牛車形となっています。
宝物館には、古い絵馬が展示されていて…
「六孫王經基の笄」
清和源氏の祖 源経基の物語のようです。
「業平の石像」
在原業平の像のようですね。
延宝3年(1675)に銘がある絵馬。
「旧社伝」
明応9年(1500)撰。
こちらの絵馬も、延宝3年の銘がありました。
たくさんのお宝があるんですね~
獅子頭。左甚五郎作で、古く雨乞いに出せしといいます。
渋谷金王丸の絵馬。昭和壬戌とありますので、昭和57年(1982)のようです。
「その2」に続く。
与謝野鉄幹、晶子旧宅・東京新詩社跡
東京都渋谷区道玄坂2-6-12付近
金王八幡宮・渋谷城跡
東京都渋谷区渋谷3-5-12
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